田中三七一による「武宮正樹」評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/05 05:27 UTC 版)
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武宮君と私とのつながりは、その頃、浅草橋のたもとの碁席で週に何度か私が道場を開いていたのですが、そこにお父さんに連れられて武宮君が習いに来たのが始まりです。 来た頃は碁はまだ弱かったのですが、碁に対する勘があり、すでに碁の才能が感じられました。碁は、子供に似合わない力碁で、読みが深く、ネジリ合いにはなかなか強い碁でした。私自身が地を取る碁がきらいなので、地を忘れろ、地というものは相手の打った石の価値と自分の打った石の価値の差額が地になるのだから、最初から地そのものを考えるなと四年間よく云ったものです。何人かを一緒に教えているので、うっかりしているとこちらよりもよく読んでいておどろいたことがありましたが、兎に角力が強い、読みが正確だったことは強く印象に残っています。 その後入段し、木谷九段が棋士会の会長をされていた頃、私は副会長をやらせて貰ったりして極く懇意だったので、本人の勉強になりますのでとお願いして木谷門に入らせて頂いたわけです。 武宮君の碁は中の碁で、現在の棋士では似た碁を打つ人は居ないようです。先人の中に似た碁風の人を求めれば、強いて云えば江戸時代後期の本因坊元丈くらいでしょうか。元丈の碁はボウシにかぶせる碁で、武宮君の碁と近いところがあるように感じます。中の碁は地にあまい欠点があるので、完成させるのは大変でしょうが、勝負にこだわらず、碁の道を極めてゆこうという気持を大切にして今後とも頑張るよう念じます。
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