1970年代後半以降
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1975年 ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行われたヴィラ・ロボス国際指揮者コンクールに参加し、特別賞を受賞する。このとき、全てのブラジルの新聞が村方を「傑出した指揮者」として褒め称えた。同年11月25日の「Criticism on Journal do Brasil」紙によれば、「村方千之は、身体すべてと卓越したバトン・テクニックを用いて、オーケストラのメンバーと素晴らしいコミュニケーションをとった。その動作は完璧であり、ただリズムが正確というだけではなく、溢れんばかりの感情、色鮮やかなダイナミクス、洪水のような音と響きのアタックに満ちていた。しかし彼の手の動きはいつも冷静な動きであり、あらゆる楽器・旋律を把握していた。言葉によるインストラクションは「最初に戻りましょう。棒を見て下さい。」ぐらいの最小限にとどめ、ほとんどは意志の力の表出や動きだけで、言葉を超えるものを伝えるのであった。 同年11月24日「New Paper Criticism on O Globo」紙によれば、「村方千之は傑出した指揮者だ。彼は言語の壁が在ったにもかかわらず、完璧な指揮の技術で全てを伝えきった。彼のテクニックを参照してみよう。彼の明確な指示は、テンポやダイナミクス、アタックなどの多様な変化といった、音楽のうねりに引き入れるものであり、そしてまた、その明解な動作はアクセントやフレーズ、ブレスや音楽の表情を素晴らしく良く示している。彼にとって、音楽を作るためには2回のリハーサルだけで十分だった。それゆえに、彼はコンクールのリハーサルの際に、50分与えられたリハーサルの時間を10分余らせてリハーサルを終了させたほどだ。 1977年 受賞記念演奏会で東京フィルハーモニー交響楽団を指揮、その後数回にわたり東京交響楽団を指揮して特別演奏会を開催、札幌交響楽団、九州交響楽団などの指揮者を務める。 1982年 ヴィラ=ロボス・国際チェロコンクールの審査員として招かれる。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のフィンケ(エーベルハルト)と共に審査を務める。日本人作曲家の作品をブラジルに紹介することをはじめ、日本とブラジルとの音楽文化の交流にも努め、日本国内でもブラジル大使館主催の「ヴィラ=ロボスの作品を聴く会」を指揮する。 1987年 ヴィラ=ロボス生誕100年に際し、日本ヴィラ=ロボス協会主催の記念演奏会を企画・指揮する。日本でのヴィラ=ロボスの作品の普及と紹介にも多大の成果を挙げる。 同年11月、ブラジルに招かれ、ブラジリア、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロなどで交響楽団を指揮、さらに当時の文化大臣セルソ・フルタードとも会見するなど、ブラジルと日本の音楽文化交流に貢献し、国際親睦に大きな役割を果たす。 1988年6月 これらの功績により、ブラジル政府より「リオ・ブランコ勲章」が授与される。その後、国際交流基金の派遣で5回にわたり、ブラジルをはじめ、チリのサンティアゴやパラグアイのアスンシオンなどの南米の国々を訪問し、指揮する。 2000年11月 ルーマニア国立交響楽団(ジョルジュ・エネスコ・フィルハーモニー交響楽団)を指揮する。その後、ブルガリア・ヴァルナ音楽祭に招かれ指揮する。 2008年11月 ブラジルのニテロイ市立交響楽団を指揮する。 長年に亘り指揮者として活動しつつ、また50年間にわたり指揮法教室を主催し、後進の育成と啓蒙にも力を注ぎ、多くの門下生を世に送り出した。 2014年12月14日、東京都板橋区の病院にて心不全のため死去。89歳没。
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1970年代後半以降
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1978年、米国からガイアナに移動した人民寺院信者の900人に及ぶ集団自殺は、米国で社会問題化し、マスメディアが、社会的に危険とみなされる宗教団体を指して報道で用いるようになる。これを機に 1979年、連邦議会や州による公聴会が開催された。同年には、国際カルト研究会(ICSA、旧:AFF)が設立された。 1970年代後半 - 1980年代にかけて、アメリカを中心に議論が尽くされた結果、「宗教社会学的な教団類型というよりも、信者の奪回・脱会を支援する弁護士,ケースワーカー,元信者,信者の親族からなるアンチ・カルト集団によってターゲットとされた集団への総称的蔑称であり、特定集団に「レッテル貼り」として用いられる傾向があるという結論が得られている。宗教学者が、この語を、宗教社会学等の学問を根拠とする教団の分類としては用いることはない。 精神医学者のロバート・J・リフトンは、1981年の『ハーヴァード・メンタルヘルス・レター』に寄稿した論文の中で、カルトについて「世界中に広まったイデオロギー的全体主義または原理主義という疫病の一様相」と定義し、カルトの特徴として、崇拝の対象となるカリスマ的リーダーの存在、強制的説得と思考改革、リーダーによる一般会員の経済的・性的・心理的搾取の3つを挙げている。 マイクル・シャーマー(サイエンスライター)は自著で、以下の特徴を主張している。 集団の指導者に対する崇拝、聖人あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美、絶対に間違いを犯さないという確信。また、指導者は無謬(むびゅう)性がみられ、哲学的な事柄から日常の些細なことまで広い知識を持っている。布教手段は、新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざまである。集団は絶対的な真理と道徳観を持ち、信仰の真の目的と計画が曖昧であり、新規入信者や一般大衆には明確に提示されることはない。入信者や信徒は、指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されており、金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得される。指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許され、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識や思考および行動に関する善悪の基準への盲信が見られる。集団の道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。[要ページ番号]
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