1970年代後半以降とは? わかりやすく解説

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1970年代後半以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 23:37 UTC 版)

村方千之」の記事における「1970年代後半以降」の解説

1975年 ブラジルリオ・デ・ジャネイロ行われたヴィラ・ロボス国際指揮者コンクール参加し特別賞受賞する。このとき、全てのブラジル新聞村方を「傑出した指揮者」として褒め称えた同年11月25日の「Criticism on Journal do Brasil」紙によれば、「村方千之は、身体すべてと卓越したバトン・テクニックを用いてオーケストラメンバー素晴らしコミュニケーションをとった。その動作完璧であり、ただリズムが正確というだけではなく溢れんばかりの感情、色鮮やかなダイナミクス洪水のような音と響きアタック満ちていた。しかし彼の手の動きはいつも冷静な動きであり、あらゆる楽器旋律把握していた。言葉によるインストラクションは「最初に戻りましょう。棒を見て下さい。」ぐらいの最小限にとどめ、ほとんどは意志の力の表出動きだけで、言葉超えるものを伝えるのであった同年11月24日New Paper Criticism on O Globo」紙によれば、「村方千之傑出した指揮者だ。彼は言語の壁が在ったにもかかわらず完璧な指揮技術全て伝えきった。彼のテクニック参照してみよう。彼の明確な指示は、テンポダイナミクスアタックなどの多様な変化といった、音楽のうねりに引き入れるものであり、そしてまた、その明解動作アクセントフレーズブレス音楽表情素晴らしく良く示している。彼にとって、音楽作るためには2回のリハーサルだけで十分だったそれゆえに、彼はコンクールリハーサルの際に、50分与えられたリハーサル時間10分余らせてリハーサル終了させたほどだ。 1977年 受賞記念演奏会東京フィルハーモニー交響楽団指揮その後数回にわたり東京交響楽団指揮して特別演奏会開催札幌交響楽団九州交響楽団などの指揮者務める。 1982年 ヴィラ=ロボス国際チェロコンクールの審査員として招かれるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のフィンケ(エーベルハルトと共に審査務める。日本人作曲家作品ブラジル紹介することをはじめ、日本ブラジルとの音楽文化交流にも努め日本国内でもブラジル大使館主催の「ヴィラ=ロボス作品聴く会」を指揮する1987年 ヴィラ=ロボス生誕100年際し日本ヴィラ=ロボス協会主催記念演奏会企画指揮する日本でのヴィラ=ロボス作品普及紹介にも多大成果を挙げる同年11月ブラジル招かれブラジリアリオ・デ・ジャネイロサンパウロなどで交響楽団指揮、さらに当時文化大臣セルソ・フルタードとも会見するなど、ブラジル日本の音楽文化交流貢献し国際親睦大きな役割を果たす1988年6月 これらの功績により、ブラジル政府より「リオ・ブランコ勲章」が授与されるその後国際交流基金派遣で5回にわたり、ブラジルをはじめ、チリサンティアゴパラグアイアスンシオンなどの南米国々訪問し指揮する2000年11月 ルーマニア国交響楽団(ジョルジュ・エネスコ・フィルハーモニー交響楽団)を指揮するその後、ブルガリア・ヴァルナ音楽祭招かれ指揮する2008年11月 ブラジルニテロイ市立交響楽団指揮する長年に亘り指揮者として活動しつつ、また50年間にわたり指揮法教室主催し後進育成啓蒙にも力を注ぎ多く門下生世に送り出した2014年12月14日東京都板橋区病院にて心不全のため死去89歳没。

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1970年代後半以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:04 UTC 版)

カルト」の記事における「1970年代後半以降」の解説

1978年米国からガイアナ移動した人民寺院信者900人に及ぶ集団自殺は、米国社会問題化し、マスメディアが、社会的に危険とみなされる宗教団体指して報道用いるようになるこれを機に 1979年連邦議会や州による公聴会開催された。同年には、国際カルト研究会ICSA、旧:AFF)が設立された。 1970年代後半 - 1980年代にかけて、アメリカ中心に議論尽くされ結果、「宗教社会学的な教団類型というよりも、信者奪回脱会支援する弁護士ケースワーカー元信者,信者親族からなるアンチ・カルト集団によってターゲットとされた集団への総称的蔑称であり、特定集団に「レッテル貼り」として用いられる傾向があるという結論得られている。宗教学者が、この語を、宗教社会学等の学問根拠とする教団分類としては用いことはない。 精神医学者ロバート・J・リフトンは、1981年の『ハーヴァード・メンタルヘルス・レター』に寄稿した論文の中で、カルトについて「世界中広まったイデオロギー全体主義または原理主義という疫病一様相」と定義しカルト特徴として、崇拝対象となるカリスマ的リーダー存在強制的説得思考改革リーダーによる一般会員経済的性的心理的搾取3つ挙げている。 マイクル・シャーマーサイエンスライター)は自著で、以下の特徴主張している。 集団指導者に対す崇拝聖人あるいは神格向けられるものとさして変わらない賛美絶対に間違い犯さないという確信また、指導者無謬むびゅう)性がみられ、哲学的な事柄から日常些細なことまで広い知識持っている布教手段は、新たな信徒獲得し現状信仰心補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざまである集団絶対的な真理道徳観持ち信仰真の目的計画曖昧であり、新規入信や一大衆には明確に提示されることはない。入信者や信徒は、指導者集団中枢に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備厄介事発展しそう事件、あるいは状況隠蔽されており、金銭およびそのほか資産差し出すよう説得される指導者に一人それ以上信徒との性的関係許され指導者、あるいは集団が見いだした究極知識思考および行動に関する善悪基準への盲信見られる集団道徳基準にきちんと従えば組織一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。[要ページ番号]

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