福島悪魔払い殺人事件
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福島悪魔払い殺人事件 | |
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場所 |
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座標 | |
日付 | 1995年(平成7年)7月5日(発覚)[3] (UTC+9) |
概要 | 祈祷師の女ESが信者3人と共謀し、信者らへの暴行を加えて計6人を死亡させた[5]。 |
攻撃側人数 | 女ESら4人[5] |
武器 | 太鼓のばちなど[5] |
死亡者 | 6人[5] |
負傷者 | 1人[6][7] |
犯人 | |
対処 | 加害者4人を逮捕・起訴 |
刑事訴訟 | |
管轄 |
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福島悪魔払い殺人事件(ふくしまあくまばらいさつじんじけん)とは、1995年(平成7年)7月5日[3]、日本の福島県須賀川市小作田竹ノ花15番地6にあった民家[注 1]で発覚した[1][4]大量殺人事件[10]。須賀川の女性祈禱師宅男女6人変死事件[11]、須賀川市の祈禱師殺人事件[12]とも呼称される。
自称祈祷師の女ES(逮捕当時47歳)が[1]、自宅で信者らと共謀して「除霊」と称し、信者7人に激しい暴行を加えて6人を死亡させ[5]、1人を負傷させた[7]。同年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生しており、この事件は福島県の犯罪史に残る異様な事件[3]、およびカルト集団による凶悪犯罪として、世間を震撼させた[5]。
犯人らは死亡した被害者5人への殺人罪、1人への傷害致死罪などで立件され[5]、主犯格のESは4件の殺人罪・2件の傷害致死罪で2008年(平成20年)に死刑判決が確定[13]。戦後日本では10人目の女性死刑囚になり[14]、2012年(平成24年)に死刑を執行されている[5]。またEの長女と信者の男2人も従犯として起訴され、ESの長女と信者の男1人は無期懲役が、もう1人の信者の男は懲役18年がそれぞれ確定している[15]。
犯人ES
事件の主犯格である女ESは1947年(昭和22年)8月21日[16]、須賀川市で生まれた[17]。地元の小中学校と県立高校を卒業後、20歳で高校の同級生と結婚したが、塗装業をしていた夫が1990年(平成2年)に仕事中の事故で腰を痛めて以降、ギャンブル(競輪・競馬)にのめり込み、家に借金取りが押しかけるようになった[17]。それをきっかけにESは化粧品や食器のセールス、ラーメン屋のアルバイトをして生活を支えていたが、同年には夫とともに新興宗教団体「天子の郷」に入った[18]。「天子の郷」は「病気・執着心・嫉妬などは、肉体内の邪霊や毒素によって起きるものである。それらを天主に宿る神力で取り除くことにより、幸福が得られる」とする教えを説き、抹殺・里造り・神査などの儀式を行っていた宗教団体で、執着心や嫉妬を動物霊に喩えていた[19]。
入信直後、夫の腰痛が治ったことをきっかけに夫婦で信仰を深め、1992年(平成4年)には三女とともに、岐阜県の教団本部で専従として活動を始めたものの、次女の眼病が治らないことや、それに対する教団の対応に不満を募らせ、同年11月に夫婦で脱会した[19]。やがて夫が「天子の郷」で知り合った神戸の女性信者と浮気関係になり、家を出たことから、ESは酒に溺れ、生活も行き詰まったことから自殺を仄めかすほどに陥ったが、そのような状況下で夫を連れ戻すべく、神戸に出向いたところで「神慈秀明会」という新興宗教を知り、1994年(平成6年)6月に入信[19]。しかし、高額な掛け軸の購入を強引に勧められたため、約1か月で脱会し、須賀川に戻ると7月ごろから個人の霊能祈祷師として活動を開始した[19]。ESは「天子の郷」で学んだノウハウを用いて知人からの相談に乗り、「肩凝り・腰痛が治った」という評判を得て、信者を集めていった[20]。
事件
犯人は、ESと彼女の長女である女X、信者である男Yおよび男Zの4人である[21]。死亡した被害者は、Zの妻である女性Zα(当時45歳)、男性信者甲(当時50歳)とその妻であり、Zαの姉(Zの義姉)である女性乙(当時48歳:岩瀬郡鏡石町在住)、甲・乙夫婦の娘である丙(当時19歳)、男性信者丁(当時43歳:須賀川市芹沢町在住)[22]、田村郡滝根町(現:田村市滝根町)在住の女性信者戊(27歳)の6人で[23]、丁の妻である女性AもESら4人から暴行を受けて負傷した[22]。
死亡した被害者6人のうち、警察に捜索願が出されていたのは事件発覚のきっかけとなった丁だけで、丁は妻(当時33歳)と小学2年生の長男、幼稚園児の長女とともに5月ごろからES宅に住み込んでいたが、子ども2人は同年6月中旬までに矢吹町の妻の実家に引き取られており、7月1日に丁の父親から捜索願が出されていた[22]。事件発覚のきっかけはAがESら4人から暴行を受け、全治2か月の重傷を負って入院したことである[22]。また甲・乙夫婦には丙以外にも娘2人(高校2年生の次女と中学2年生の三女)がいたが、1994年暮れか1995年初めには家族揃って須賀川市六郎兵衛の自宅を離れ、ES宅で生活していた[22]。
ESら4人は1994年(平成6年)の暮れから1995年6月まで、ES宅で「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人(Zα・甲・乙・丙・丁・戌・A)に対し、「悪魔払い」や「御用」と称して太鼓のばちで殴る、蹴るなどの暴行を加え、Aを除く6人を死亡させ、Aにも重傷を負わせた。現場の民家からは事件発覚の約2週間前から魚の腐ったような異臭がしており、また夜中に太鼓を叩く音が聞こえるなど異様な雰囲気を放っていたため、事件発覚前から近隣住民の間で「須賀川のオウム」と揶揄されていた[24]。また事件当時、須賀川警察署の署長として事件の捜査を指揮していた斎藤克彦も、本事件が「福島のオウム」と呼ばれていたことを回顧している[2]。
捜査
同年7月5日、重傷を負ったAの入院をきっかけに、福島県警察の所轄警察署である須賀川警察署がES宅を家宅捜索したところ、信者6人の腐乱死体が発見された[5]。県警捜査一課と須賀川署は同日、捜査本部を設置した[8]。当初の捜査本部名は「須賀川市内の祈祷師宅における多数殺人容疑事件捜査本部」で、本部長は刑事部長の下田國衛が務めた[25]。その後、事件が殺人事件であると断定されたことから、ESら4人を殺人容疑で再逮捕した同月26日には「須賀川市内の祈祷師宅における多数殺人事件捜査本部」に名称を変更した[26]。
後に被害者であるAも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕・起訴された。Aは1996年(平成8年)3月29日に福島地方裁判所(穴澤成巳裁判長)で懲役3年(求刑:懲役5年)の実刑判決を言い渡されたが、仙台高等裁判所へ控訴した[27]。1997年(平成9年)3月13日に仙台高裁第1刑事部(泉山禎治裁判長)は、原判決後に被害者遺族との示談が成立したこと、Aには幼い2人の子供がいること、深く反省していることなどの事情を考慮して原判決を破棄自判し、懲役3年・執行猶予5年の判決を言い渡した[28]。Aは上告せず、同判決が確定している。
刑事裁判
ES・X・Y・Zの犯人4人はまず、Aへの傷害容疑で逮捕され、後に5人への殺人容疑、1人への傷害致死容疑でも再逮捕された[5]。4人は最終的に、Zαと甲の2人に対する傷害致死罪、丙・丁・戌の3人に対する殺人罪、Aに対する殺人未遂罪で起訴されたが、乙に対する殺人罪に関してはES・X・Yの3人が起訴された一方、Zは不起訴処分となった[29][30]。
ESの刑事裁判では4人への殺人罪、2人への傷害致死罪、そしてAへの殺人未遂罪がそれぞれ認定されている[29][7]。なお捜査段階では当初、福島地方検察庁郡山支部へ送検されていたが、福島地検は捜査体制を強化するため、ESら4人がZαに対する殺人容疑で再逮捕された同年7月26日までに事件を郡山支部から本庁へ移送することを決め[8]、捜査本部も同月28日、ESら4人を殺人容疑で福島地検本庁に送検した[31]。このため、刑事裁判の第一審公判も福島地裁郡山支部ではなく、福島地裁本庁で開かれた。
刑事裁判では事件の猟奇性・異常性から、ESの責任能力が争点となった[32]。
第一審
初公判
ES・X・Y・Zの4被告人に対する第一審の初公判は1995年10月27日、福島地方裁判所(穴澤成巳裁判長)で開かれた[33]。罪状認否で、4被告人とも暴行を加えた事実は認めたものの、ESは殺意を全面的に否認し、他の3被告人も「(暴行を続ければ)死ぬことはわかっていた」と未必の殺意は認めたが、確定的な殺意の存在や共謀の事実はいずれも否定した[34][35]。また、4被告人の弁護人は責任能力への疑義を主張し、精神鑑定を申請した[36]。なお4被告人は同日、被害者の男性甲(当時49歳)に対する殺人容疑で追送検されており、この追送検によって全6被害者について送検がなされた[33][37]。
初公判後の同年11月6日、福島地検は甲に対する傷害致死罪と共犯の女Aに対する殺人未遂罪で4被告人を福島地裁へ追起訴した[38]。これによって捜査は終結し、須賀川署は同年10月30日をもって署内に設置されていた「須賀川市内の祈祷師宅における多数殺人事件捜査本部」(本部長は刑事部長・下田国衛)を解散した[39]。この日までにかかった捜査日数は118日で、県警本部と須賀川署の他、郡山・白河の両警察署などから8670人の捜査員が動員され、県内だけでなく東京都や大阪府、兵庫県、岐阜県など14都府県で捜査が行われた[40]。
精神鑑定
1996年(平成8年)9月の第11回公判で、弁護側の求めた精神鑑定が認められ[41]、地裁は同年10月に鑑定実施を命じた[36]。公判は同年11月5日に開かれた第13回公判を最後に[36]、約3年間にわたって中断した[42]。
この中断期間中に丹羽真一(福島県立医科大学教授:神経精神医学)による精神鑑定が実施され、1999年(平成11年)11月5日の第14回公判から審理が再開されたが、その鑑定書(丹羽鑑定)は、4被告人のうちXについて、「精神障害が認められ、責任能力は問えない」とする内容だった[42]。なお裁判長は、第13回公判までは穴澤が務めていたが[43]、中断を挟んで再開された第14回公判の時点では原啓に交代していた[44]。鑑定人の丹羽は同年12月17日の第15回公判で尋問を受け、Xは軽度の精神遅滞があり、責任能力は限定されるという見解を述べた一方[45]、続く2000年(平成12年)1月21日の第16回公判では残る3被告人 (ES・Y・Z) について、いずれも完全責任能力が認められるという見解を述べた[46]。検察官は丹羽鑑定について当初、鑑定書の内容を精査できていないとして採用を留保していたが[44]、第16回公判で証拠採用に同意し、丹羽鑑定は証拠採用された[46]。
結審
2001年(平成13年)11月16日に福島地裁(原啓裁判長)で論告求刑公判が開かれ、検察官は被告人ESに死刑、X・Y両被告人に無期懲役、被告人Zに懲役20年の刑をそれぞれ求刑した[47]。
第一審の公判は、同年12月14日の第36回公判をもって結審した[48]。4被告人の弁護人は、それぞれ被害者たちへの殺意を否認する旨を主張し、ES・X・Zの3被告人側は傷害致死罪の成立を、Y被告人の弁護人は「故意がない以上、犯罪の構成要件を満たしていない」として無罪を主張した[48]。また、ESの弁護人は精神鑑定で「暴力を振るう際には、一時的ヒステリーの解離状態に陥ったこともある」という結果が出たことを根拠に心神耗弱を主張し、精神鑑定で「心神耗弱状態」と判定されていたXの弁護人も、改めて心神耗弱を主張した[48]。
第一審判決
2002年(平成14年)5月10日、福島地裁(原啓裁判長)で第一審判決公判が開かれ、同地裁は被告人ESを死刑、X・Y両被告人を無期懲役、被告人Zを懲役18年とする第一審判決を言い渡した[21][49]。福島地裁における死刑判決は、1994年6月に警察庁広域重要指定118号事件の第一審判決公判で、死刑求刑を受けた5被告人のうち3被告人に言い渡されて以来であり、女性の被告人に対しては初となる[21]。
福島地裁は、ESは自分の意志で解離状態に陥っており、是非善悪を弁識して行動する能力は有していたと評し、Xについても記憶は明瞭かつ正確で、十分認識して行動していたとして、4被告人全員がいずれも事件当時、完全責任能力を有していたことを認めた[50]。また「御用」と称した暴行を加えた動機は、ESが「自身の神的権威を守り、Zとの愛欲関係を維持するための私的制裁」であり、「被害者らの人格をも否定する行為で、社会通念上、魂を清め救済するとは言いがたい」として、被告人側の主張する「宗教儀式」ではないと評した[21]。殺意についても、4人は最初にZαと甲の2人をバチで殴って死亡させながら、その後も被害者4人(乙・丙・丁・戌)に対し同様の暴行を繰り返した末に死亡させたことを指摘し、4人は犯行時に「死亡しても構わない」という殺意を有していたことが明らかであり、殺意を認めた捜査段階における4人の供述は十分信用できるとして、殺意を否定した被告人側の主張を退けた[21]。
そして量刑理由では、ESは「最大の首謀者」であり、刑事責任の重大性から死刑が妥当であるとした上で、X・Yの2人も有期刑は選択できないとした[21]。一方でZについては、当初はESを信じて暴行に加わったとされる点があるなど、若干情状酌量できる面があり[51]、また妻Zαや義兄(甲)を死亡させたことにより[21]、ESに逆らえば自らも暴行を受ける対象になると恐れ、ESに追従追従していた面があったことを指摘し[51]、求刑より刑を減じた[21]。日本脱カルト研究会(現:日本脱カルト協会)代表理事を務めていた東邦大学助教授(精神医学)の高橋紳吾は、「オウム真理教の一連の公判と全く同じ構図」と分析している[52]。
死刑を言い渡されたESは、同日中に仙台高裁に控訴した[21][49]。またYとZも控訴したが[53][54]、Yは後に控訴を取り下げ、無期懲役が確定した[55]。一方でXは控訴しない意向を弁護人に伝えた[53]。
控訴審
ESとZの2被告人が仙台高裁に控訴し、2003年(平成15年)7月4日に仙台高裁(松浦繁裁判長)で2人の控訴審初公判が開かれた。同日、ESの弁護人は「ESは犯行時、心神喪失か心神耗弱状態だった」とする一審の主張を繰り返し、再度の精神鑑定を求めた上で、「暴行は被害者も同意した上で行われた宗教行為で殺意はなく、死刑は重すぎる」と事実誤認・量刑不当を主張したほか、Zの弁護人も「暴行への関与は低く、殺意もない」として、量刑不当を主張した[56]。
ESの弁護人は完全責任能力を認めた丹羽鑑定について、杜撰で事実誤認があると主張し、再度の精神鑑定を申請した[57]。同年9月2日の第2回公判で、仙台高裁はESの弁護人からの申請を認め、中谷陽二(筑波大学教授:司法精神医学)による再度の精神鑑定を行うことを決め、ESの犯行時の精神状態と責任能力への影響に加え、丹羽鑑定で「一時的ヒステリーの解離状態にあった」とされる点と責任能力との関係などについても調べられることとなった[58]。一方でZについてはESと審理が分離され、同日の公判で被告人質問を行って結審した[58]。同年11月11日、Zは仙台高裁(松浦繁裁判長)で控訴棄却の判決を言い渡され[59][60]、上告しなかったため、同月26日をもって懲役18年を言い渡した第一審判決が確定している[61]。
ESの公判は精神鑑定のため、2003年9月から中断され、2005年(平成17年)4月21日の第3回公判で約1年7か月ぶりに再開された[62]。この間に裁判長は田中亮一に交代していた[62]、控訴審では、第一審とは逆に「ESは犯行時、正常な判断能力がない心神耗弱状態に陥ることもあった」という鑑定結果(中谷鑑定)が出された[63]。
同年5月10日の公判で、被告人質問を受けたESは被害者への暴行について「神の意思でやった」「当時のことは思い出せない」と述べ、殺意を否定した[64]。同年6月6日の第7回公判では再鑑定を担当した中谷が証人尋問を受け、犯行動機はESの個人的な動機と、(原判決ではほとんど否定された)宗教的な動機が織り交ぜになったものであり、またESは犯行時、全く責任能力がなかった(心神喪失だった)わけではないが、一時的に意識が通常の状態でなくなる解離状態にあり、責任能力は原判決で認定されたような完全なものではなく、限定的なもの、すなわち心神耗弱状態にあったと証言した[65]。控訴審の公判は7月12日の第8回公判で結審する予定だったが、中谷鑑定の結果について精査が必要であるとして持ち越され[66]、9月6日の第9回公判で結審した[67]。
控訴審判決
2005年11月22日の控訴審判決公判で、仙台高裁(田中亮一裁判長)はESの控訴を棄却する判決を言い渡した[68]。同高裁は、ESは事件の発端となった女性信者への暴行の際、愛人関係にあった男性への独占欲など、個人的・利己的な動機から犯行におよんでいると指摘した上で[63]、自らの誘発で別人格になることを知っていながら、正常な認識の状態で「御用」と称した暴行行為を開始しており、継続すれば被害者が衰弱死することを予見していたと指摘[68]。責任能力がない状態にあったのは一時的であり、ほとんどは完全責任能力を有した状態で犯行におよんでいたと認定[63]、弁護側の「御用中に一時的な別人格になるのであれば、すべてを心神耗弱として評価し減軽すべき」との主張を退けた[68]。
ESの弁護人は判決を不服として、同日中に最高裁判所へ上告した[68]。第一審の初公判からこの日の控訴審判決公判までに、公判回数は全47回を数え、10年の長期審理となった[68]。
上告審
最高裁判所第三小法廷における上告審の弁論は2008年(平成20年)7月15日に開かれた[69]。ESの弁護人(高澤文俊・高橋正俊)は、死刑制度の違憲性や[70]、「ESは事件当時、憑依トランス状態に陥り、心神喪失状態だった」という主張を展開し、無罪を訴えた[32]。
しかし、同小法廷(藤田宙靖裁判長)は同年9月16日に原判決を支持し、被告人ESの上告を棄却する判決を言い渡した[13][11]。事件発覚および第一審の初公判からから約13年後の最高裁判決であり[11][29]、福島県内関係の事件で最高裁が死刑判決を言い渡した事例は、警察庁広域重要指定118号事件で3被告人に言い渡されて以来、約4年ぶりのことであった[29]。福島県内の死刑確定事件は後述のESに対する死刑執行時点で、1947年(昭和22年)以降で22件であり、24人の死刑が確定している[71]。ESの弁護人は同月22日付で判決の訂正を申し立てたが[72][73]、申立は10月3日付の決定で棄却され[74]、同月5日付で死刑が確定した[75]。
死刑執行
ESは死刑確定直後、弁護人の阿部潔(仙台弁護士会)に再審請求の手続きを依頼し、責任能力か殺意の有無を争点として、2012年(平成24年)末までに請求手続きを行う予定だった[76]。
しかし同年9月27日、死刑囚ES(仙台拘置支所在監)は滝実法務大臣の死刑執行命令により、宮城刑務所[注 2]で刑を執行された(65歳没)。女性死刑囚の死刑が執行された事例は、1997年(平成9年に夕張保険金殺人事件の女性死刑囚が死刑を執行されて以来15年ぶりで、戦後ないし[78][79]、男女別の統計が残っている1950年(昭和25年)以降では4人目である[80][81]。また、福島県関係の事件で死刑が執行された事例は、2004年(平成16年)にいわき市鹿島町で発生した母娘殺害事件で強盗殺人罪に問われ、死刑が確定した男が2008年10月に死刑を執行されて以来であり[12]、女性死刑囚の刑が執行された事例に限れば初めてである[80][81]。死刑執行は同年の8月3日以来だったが、前回との間隔(1か月24日)は1993年(平成5年)の死刑執行再開後、過去2番目の短さだった[82]。
その他
福島県で発生した大量殺人事件にはこの事件以外にも、1942年(昭和17年)10月に耶麻郡加納村(後の熱塩加納村、現:喜多方市)で日本刀を持った男が3軒を次々と襲って8人を殺害した事件や、1947年(昭和22年)11月に安達郡熱海町(現:郡山市)で一家6人が鉞で殴り殺された強盗殺人事件[8]、また1948年(昭和23年)2月に発生した会津若松市藤室の一家5人殺害事件、1949年(昭和24年)6月に石城郡高久村(現:いわき市)で発生した一家4人殺害事件、1959年(昭和34年)12月に発生した岩瀬郡天栄村の一家3人殺害事件といった3件の強盗殺人事件があるが[26]、6人以上が殺害された事件は1954年(昭和29年)の福島県警察本部発足後では初であり[8]、熱海町の事件以来であった[83]。また宗教活動に絡んだ事件としては、1981年(昭和56年)にいわき市の教会で信者が会社の上司を監禁して死亡させた事件があったが[26]、このような被害者多数の殺人事件にまで発展したこの事件は、福島県の犯罪史上例がない事件でもあった[83]。
『福島民報』はESの親族について、事件後は蔑視や偏見に耐えながら生活していると報じている[15]。また現場となった住宅付近で食堂を営む人物は『福島民友』の取材に対し、事件が原因で周辺地域のイメージが悪化したと証言している[71]。
2013年8月7日に日本テレビ系列で放送された『ザ!世界仰天ニュース』では、「誰もがはまる恐怖…洗脳スペシャルpart2」と銘打った特集でこの事件が取り上げられた[84]。
脚注
注釈
- ^ a b 事件現場となったES宅は、須賀川市中心部から東へ約5 km離れた阿武隈川近くの住宅地(JR水郡線:川東駅付近)に位置していた[1]。同宅は閑静な住宅街に位置しているが、事件発覚後は誰も住んでおらず、ESの死刑が執行された2012年9月時点では障子が破れたままで、庭の草木も伸び放題になっていた[2]。事件から約四半世紀が経過した2019年(平成31年)2月時点でも空き家のまま放置されている[3]。
- ^ 札幌・仙台各矯正管区管内の裁判所で死刑判決を受け、死刑が確定した死刑囚の収監先は、それぞれ札幌拘置支所・仙台拘置支所だが、刑場(死刑執行設備)はそれぞれ隣接する札幌刑務所・宮城刑務所に設置されている[77]。
出典
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参考文献
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- 深笛義也「File. No. 10 福島悪魔祓い殺人事件 信者同士の暴行で六人が死亡 ES」『増補新版 女性死刑囚 十四人の黒い履歴書』(初版第1刷)鹿砦社、2013年12月16日、85-101頁。ISBN 978-4846309794。 NCID BB15913176。国立国会図書館書誌ID:025046549。 - 原著『女性死刑囚』(国立国会図書館書誌ID:023153955、ISBN 978-4846308469、NCID BB07746636)は2011年11月刊行(収録対象は一覧表13番まで)。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『コロナ禍のなかの死刑 年報・死刑廃止2020』(第1刷発行)インパクト出版会、2020年10月10日。ISBN 978-4755403064。 NCID BC03101691。国立国会図書館書誌ID:030661462 。
関連項目
固有名詞の分類
- 福島悪魔払い殺人事件のページへのリンク