日本の死刑囚の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 20:28 UTC 版)
「日本における死刑囚」の記事における「日本の死刑囚の事例」の解説
生き返った死刑囚 詳細は「石鐵県死刑囚蘇生事件」を参照 1872年、石鉄県(現・愛媛県)の久万山騒動に参加し、役所に放火した田中藤作(当時31歳)が絞首刑執行後に蘇生した事例があった。彼は「既に死刑が執行されており、再度執行する法的根拠がない」として、放免と原籍編入を指示された。原因は当時の処刑器具「絞柱」に構造欠陥があったため確実に絶命させられなかったためといわれている。ほかにも同時期に2人がおなじように蘇生したとされるが、こちらについての伝承は明らかではない。 執行されなかった死刑囚 1945年8月9日にアメリカ軍が行った長崎市への原子爆弾投下では、爆心地近くに戦時中の規定で九州地区唯一の処刑場に指定されていた長崎刑務所浦上刑務支所があったため、死刑囚2名(4名とする書籍もある)も含む刑務所にいた全員が一瞬にして死亡した。 戦後在日米軍によって処刑された少年死刑囚 上坂冬子著『巣鴨プリズン13号鉄扉』によれば、ほかの戦争犯罪人と同じように、18歳の少年が死刑になった事実があるという。それによれば1945年12月19日に、北海道札幌市にあった進駐軍宿舎に盗みに入った少年がアメリカ兵を殺害したために、アメリカ軍の軍事法廷で、わずか2日の審理で1946年1月23日に死刑が確定、5月17日に巣鴨拘置所で絞首刑になった。 過去に長期収監されていた死刑囚 平沢貞通死刑囚は、1955年4月7日に最高裁で上告棄却で死刑確定後、歴代法務大臣が死刑執行命令書へ署名しなかったために執行されないまま、1987年5月10日に獄中で95歳で病死した。確定死刑囚の確定後収監期間32年0ヶ月(逮捕後通算38年9ヶ月)は当時の世界最長であり、ギネス世界記録にも世界記録として認定された。ただしこの記録はすでにマルヨ無線事件の死刑囚が死刑確定後収監期間49年4ヶ月(2020年3月末時点)と超えている。 福岡事件のうち、実行犯とされた死刑囚は1947年に逮捕され死刑確定後の1975年に恩赦により無期懲役に減刑された。この時点で28年収監されていたが、仮出所したのが1989年であり、釈放された元死刑囚の逮捕後収監期間としては最長の42年7ヶ月の記録を持っていた。 現在、長期収監されている死刑囚 冤罪と主張される死刑囚の執行は避けられる傾向にある。これは執行された後で仮に無罪の証拠が発見された場合、もはや回復不能であることが理由である。実際に名張毒ぶどう酒事件では1972年に死刑確定後、冤罪の可能性が指摘されていることから執行は行われていない。同様に川端町事件の死刑囚も1970年に確定しているが執行されていない。 一方、飯塚事件の死刑囚は冤罪疑惑があったにも関わらず、2006年の死刑確定から約2年後の2008年に執行された。 1974年に発生したピアノ騒音殺人事件の死刑囚は1977年に死刑判決が確定したが、2017年12月末現在死刑が執行されていない。これは犯行動機(近隣騒音)に同情した全国の騒音被害者たちが助命嘆願運動を繰り広げたほか、控訴審で行われた精神鑑定で責任能力なしの判断が出され、無期懲役に減軽される可能性があったにもかかわらず、死刑囚が「刑務所内の騒音に耐えられず、死にたい」との理由で控訴を取り下げた事情がある。現在彼は精神異常が亢進しているといわれており、今後も死刑執行が行われない可能性があり、冤罪を指摘されず再審請求を提出していないにもかかわらず、前述の平沢の確定死刑囚としての年数を更新した。 確定後、最も執行までの収監期間が長かった死刑囚 1975年に発生した秋山兄弟事件は、兄弟2人が犯した事件であったが、裁判では相手が主犯であると擦り合った。裁判所は弟を主犯と認定し死刑に、兄を無期懲役とした。死刑が確定したのは1987年であったが、執行されたのは2006年であった。そのため、判決確定後19年5ヶ月で死刑が執行され、その待機期間としては戦後最長であった。また執行時の年齢が77歳であったが、記録が残る中では日本国憲法下で最高齢の記録である。 日本の女性死刑囚 詳細は「女性死刑囚」を参照 現代の日本における死刑囚の大半は男性である(約93%)。そのため女性死刑囚は少なく、第二次世界大戦後に死刑判決が確定した女性死刑囚は17人である。そして、2021年12月時点で8人が収監中である。また、戦後に死刑判決が確定した女性死刑囚17人中5人は執行、3人は病死、1人は恩赦により減刑されている。 戦後初めて女性に対し死刑判決が確定したのは、1949年に発生した菅野村強盗殺人・放火事件の女性に対するものであったが、彼女は精神異常と結核のため恩赦されている。戦後初めて死刑が執行されたのは1960年に発生したホテル日本閣殺人事件の主犯(確定は3番目)に対するもので、1970年に執行された。また同じ年には女性連続毒殺魔事件で確定した59歳の女性(確定は2番目)も執行されている。その後、1980年代は女性死刑囚の執行は無かったが、死刑執行モラトリアム後の1997年に夕張保険金殺人事件の主犯の妻が執行され、約27年ぶりに執行された。その後2000年代に執行されることなく、2012年には福島悪魔払い殺人事件の加害者が、2016年には久留米看護師連続保険金殺人事件の加害者の執行が行われた。
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