長崎刑務所浦上刑務支所
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「長崎刑務所浦上刑務支所跡」の記事における「長崎刑務所浦上刑務支所」の解説
1927年(昭和2年)9月に、長崎市松山町・岡町・橋口町にまたがる雑木林を造成し新設された。 原爆投下時は、敷地面積2万平方メートル、庁舎面積1万3000平方メートルで13の庁舎が建ち並び、周囲は高さ4メートル、幅0.25メートルの鉄筋コンクリート製の塀が取り囲んでいた。 収監者の中には、朝鮮半島等で抗日運動を行い、治安維持法に違反したとして逮捕された活動家も存在した。また、九州管内の死刑囚は全て当所に集められ、執行を待っていたとされる。 大戦末期の1944年(昭和19年)12月には、受刑者約500人が「長崎造船護国隊」として三菱長崎造船所で労役に駆り出されており、当所も宿舎として用いられていた。
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