進化論について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:16 UTC 版)
デューリングの生物学に関する見識は乏しく、彼はダーウィンの進化論を十分に理解することができなかった。 デューリングの自然哲学の科学的水準は低く、道徳的な観念を自然界に持ち込む情熱によって歪められ、その自然観は極めて稚拙なものとなっていた。デューリングは、生命現象について何も語れずの状態であったが、『種の起源』を執筆し進化論を唱えたダーウィンに反発していた。ダーウィンについて「彼はマルサスの人口理論を経済学から自然科学に移した、彼は動物育種家の観念にとらわれている、彼のいう生存闘争は非科学的なへぼ詩をもてあそぶものだ、さらに全ダーウィン説は、ラマルクからの借り物を引きされば、人間性に敵対せしめられた一片の野獣性なのだ、と」述べている。 育種や畜産についていうと、イギリスは欧州における最先進国であった。イギリスには生物の形質に関する理解と品種改良の優れた技術が集積されていた。ダーウィンは育種家としての知識から重要な知見を得ていた。エンゲルスはダーウィンによる進化論を次のように概説している。 「育種によって同一種の動物や植物に人為的に差異が生み出され、しかもそれが一般に異種と認められている諸種のあいだに見られる差異よりももっと大きいということであった。それで一方では種の可変性がある程度まで証明されたとともに、他方ではことなった種的特徴をもつ生物が共通の祖先をもつ可能性があることが証明された。そこでダーウィンは―育種家の意識的な意図がなくとも―長いあいだには人為的な育種の場合と類似した変化を生きた生物に呼び起されずにはいられないような原因が自然のうちにあるのではないかということを、研究してみた。彼は、この原因が自然によってつくりだされた胚の膨大な数と、実際に生育する生物のわずかな数のとの不釣り合いということのうちにある、ということに気づいた。ところで、どの胚も発育を目指すのだから、どうしても生存のための闘争が生ずる。これは単に直接の肉体的な闘争や喰いあいであるばかりでなく、空間や光線の奪い合いとして、植物の場合にさえ現れるものである。 こうした闘争でごくささいなものでも、なにか生存闘争に有利な個体的特質をもつところの個体が、生育し繁殖する見込みをもっとも多くもつことは、だれの目にも明らかである。従って、こうした個体的特質には遺伝する傾向があり、そしてその特質が同一種に属するいくつかの個体に現れる場合、遺伝が積み重ねられるために、最初の決まった方向にそれが強められゆく傾向がある、他方、かような特質を持たない個体は生存闘争においてずっと敗北しやすく、しだいに消滅してゆく。かような仕方で、自然選択〔淘汰〕を通じて、適者生存ということによって、種が変化してゆくのである。」 ここでの主張は、ダーウィンが育種家であったという経歴に対するデューリングの非難を学説の当否に関わる問題ではないとして一蹴するとともに、生存闘争は野獣的であるという見解に対して、植物にも当てはまる生存のための一般的な競争原理であり、種分化の原動力であることを指摘している。 一方で、デューリングは進化という生物現象を説明する理論をまったく提示できなかった。自己同一性という「絶対安定」の思想を保持し、生物種間に働く競争原理を「野獣性」として見ていたため生物進化を説明できず、学術用語が気に入らないと言って攻撃を加えるような不毛で不正確なダーウィン批判に終始することとなった。デューリングは、「進化」という用語を批判して「組成」と呼称するように要求したほか、道徳的な観点から「生存闘争」は「野獣性」であると反発したり、「適応」という言葉に意識的な過程が欠落していると語り、これに代わりインテリジェント・デザインで生物学的現象を説明しようと試み、理神論的な合目的自然観を擁護した。 「アマガエルや葉を喰う昆虫が緑色をしており、砂漠の動物が砂黄色であり、極地の陸棲動物が主として雪白色であるのは、なにもそれらが意図によって、またなんらかの観念に基づいてそうした色を獲得したためでないことは、確かである。むしろ反対に、それらの色はもっぱら物理学的諸力と化学的諸動因によって説明される。それにもかかわらず、これらの動物がそうした色のおかげで、それらの住む環境に対して合目的的に適応していること、そして実際それがために、それらが敵に対して見つかりにくいものになっていることは、否定できない。これと同様に、ある種の植物がそれにとまる昆虫をとらえて喰うために用いる器官もこの活動に適応しているのだ。しかも合目的的に適応しているのだ。ところで、デューリング氏が、適応は観念を通じて引き起こされるはずのものだと、あくまでも主張するのならば、この場合彼は、こうした目的活動も同様にやはり観念によって媒介された、意識的な、意図的なものであるはずだ、ということを単に別の言葉で言っているだけのことである。かようにして我々はふたたび、現実哲学においていつものことながら、目的活動的な創造主、すなわち神に到達したわけである。」 以上のとおり、生物種の適応には自然環境に対する合目的性があるが、適応の合目的性は自然選択によるもので、意図的な計画の産物ではない、というのがダーウィニズムの見解である。進化の原動力は形質の偶発的な変異に依存しており、カエルもシロクマも体色を意識的に変じたわけではない。分子生物学以前の学問水準では、遺伝子の突然変異の仕組みに関する理解は進んでおらず、突然変異の仕組みは解明していていなかったものの、ダーウィンの発見により生物進化の中心的なメカニズムは理解されていた。遺伝子の物理的変異に起因する変化が結果論的に生物種に見られる競争と生存の優劣を左右し、個体の特性を種の形態へと定着させていくという淘汰のプロセスにより生物種の形質変化が促進され、種が形成されるということが明らかにされていた。進化のメカニズムは意識的で計画的なプロセスの産物ではなく、遺伝情報とタンパク質の組成との物理的な遺伝的浮動という非意識的な自然法則の産物であることが、エンゲルスによって再度強調させることとなった。 エンゲルスはデューリングのダーウィン批判の問題点をつぎつぎと指摘して反駁を加えていった。デューリングはダーウィンによる植物や動物、菌類やバクテリアを包含する巨大な進化系統樹の形成についても同様であった。デューリングは植物と動物とをまったく別の起源をもつもので、系統分化はなかったとする、中世に逆戻りしたような生物観を提示していたのである。エンゲルスは、こうした並行起源説もキリスト教への退行であるとして糾弾し、デューリングの生物学への立場を主観的で目的論的な自然観の旧来的な表現の焼き直しとして批判した。
※この「進化論について」の解説は、「反デューリング論」の解説の一部です。
「進化論について」を含む「反デューリング論」の記事については、「反デューリング論」の概要を参照ください。
進化論について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 08:06 UTC 版)
チャールズ・ダーウィンの進化論に対して、完全ではないという考えを持っている。文學界2008年8月号で、川上未映子との対談において、進化を説明するための一つの説としてジャン=バティスト・ラマルクの用不用説を持ち出している。
※この「進化論について」の解説は、「福岡伸一」の解説の一部です。
「進化論について」を含む「福岡伸一」の記事については、「福岡伸一」の概要を参照ください。
- 進化論についてのページへのリンク