近世近代長崎の史跡とは? わかりやすく解説

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近世・近代長崎の史跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

長崎県指定文化財一覧」の記事における「近世・近代長崎の史跡」の解説

長崎市内の指定史跡最重要なのは、鎖国期にヨーロッパ玄関であった出島出島和蘭商館跡である。日本学重鎮であるシーボルト幕末戦術家高島秋帆住居跡指定されている。長崎港防衛のために置かれ台場跡、通称そろばんドック」と呼ばれる玉石積み船渠小菅修船場跡といった港町長崎特徴的な史跡指定されている。 名称位置指定日解興福寺寺域 長崎市寺町 1961年11月24日 元和9年1623年)に真円初代住持迎えて開山した国内最初唐寺寺請制度成立により、菩提寺悟真寺邦人専用となったため、華僑新たな菩提寺として開かれた焼失と再建繰り返し開山当時建築物現存しないため「史跡扱いである。 崇福寺の媽姐堂 長崎市鍛冶屋町 1960年7月13日 寛永6年1629年開山崇福寺最初に建立されたと推測される堂の跡。現在の媽姐堂は寛政6年1794年再建のため、国宝国重文が並ぶ崇福寺では例外的に指定建造物華僑航海安全祈願する神として尊崇を受け、最優先建立された。 烽火山のかま跡 長崎市鳴滝町 1968年4月23日 寛永15年1638年)、松平信綱異国通報のために設置させた狼煙通信起点正保4年1647年マカオからの来航文化5年1808年)のフェートン号事件の際に狼煙上げた。火入口薪小屋用水池詰番所跡が残っている。 琴尾烽火台跡 諫早市多良見町佐瀬 1971年9月14日 設置時期は不明だが、烽火山から信号受けて大村城通報する狼煙中継所大村湾縦断して平戸藩錐崎への中継考慮されていたが、フェートン号事件通報不具合があり、以後平戸藩飛脚通信所望した。火入口遺構残っている。 戸町番所4・56・7石標 長崎市国分町 1963年10月30日 寛永19年1642年)に佐賀藩築造した長崎港警備陣屋跡対岸西泊番所連携し両岸から長崎港警備する福岡藩佐賀藩隔年交代駐留した遺構石柱天保8年1825年設置開国により元治元年1864年)に廃止された。 鉅鹿家魏之えん兄弟の墓 長崎市西山町 1964年10月16日 元禄2年1689年)頃に築造された墓。魏氏リュウ禎・之エン兄弟弔うリュウ禎がベトナム、之エン長崎朱印船貿易従事したリュウ禎の遺骨長崎届き、之エン死去したことを期に子が墓を造成した。之エンの子帰化し鉅鹿氏を名乗るケンペルツュンベリー記念碑 長崎市出島町 1960年7月13日 文政8年1825年)、シーボルト建立したラテン語石碑元禄3年1690年)に来日したエンゲルベルト・ケンペル安永4年1775年)に来日したカール・ツンベルク博物学生物分類学の先達として讃美する文を刻んでいる。 花月 長崎市寄合町丸山町 1960年3月22日 文政元年1818年)頃に丸山遊郭引田屋が庭園開いた茶屋跡。文人芸術家サロンとして機能し、年2回の書画清譚会には中国・朝鮮作家登場した明治12年1879年焼失引田本館移転したが、大正15年1926年廃業幕を閉じた長崎金星観測碑・観測台 長崎市西山町 1960年7月13日1995年3月16日観測追加 天文学者ピエール・ジャンサン明治7年1874年12月9日金星の太陽面通過観測したことを記す四角錐記念碑100年一度金星の太陽面通過当日全世界観測され、ジャンサンは日本観隊長平成5年1993年)には観測台も発見された。 ド・ロ神父遺跡救助院跡・いわし網工場跡) 長崎市西出津町 1967年2月3日 ド・ロ神父設立した社会福祉施設跡。救助院は明治16年1883年)、いわし網工場明治21年1888年落成外海経済・社会改善通して布教を図るための実践例で、慶応4年1868年来日より大正3年1914年死去まで外海近代化精励した国際海底電線小ヶ倉陸揚庫 長崎市小ヶ倉 1972年2月4日 明治4年1871年)、国際海底電信ケーブル揚陸取得したデンマーク大北電信会社建設した煉瓦石積倉庫12年間で上海ウラジオストクへ各2本のケーブル敷設した長崎外港整備備えて解体移転したため、項目は「史跡」となる。 松島炭鉱第4坑跡 西海市大瀬戸町松島外郷 2015年2月19日 大正3年1914年)の開削開始から出水事故による昭和10年1935年)の閉山まで機能した炭鉱遺構松島炭鉱開いた5坑のうち、現存する唯一の坑口で、第2竪坑跡・巻揚機庫・守衛室・変電所電柱残されている。

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