近世・近代長崎の史跡
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「近世・近代長崎の史跡」の解説
長崎市内の国指定史跡で最重要なのは、鎖国期にヨーロッパの玄関であった出島の出島和蘭商館跡である。日本学の重鎮であるシーボルトと幕末の戦術家高島秋帆の住居跡も指定されている。長崎港防衛のために置かれた台場跡、通称「そろばんドック」と呼ばれる玉石積み船渠の小菅修船場跡といった港町長崎の特徴的な史跡が指定されている。 名称位置指定日解説興福寺寺域 長崎市寺町 1961年11月24日 元和9年(1623年)に真円を初代住持に迎えて開山した国内最初の唐寺。寺請制度の成立により、菩提寺の悟真寺が邦人専用となったため、華僑の新たな菩提寺として開かれた。焼失と再建を繰り返し、開山当時の建築物は現存しないため「史跡」扱いである。 崇福寺の媽姐堂 長崎市鍛冶屋町 1960年7月13日 寛永6年(1629年)開山の崇福寺で最初に建立されたと推測される堂の跡。現在の媽姐堂は寛政6年(1794年)再建のため、国宝・国重文が並ぶ崇福寺では例外的に未指定建造物。華僑が航海安全を祈願する神として尊崇を受け、最優先で建立された。 烽火山のかま跡 長崎市鳴滝町 1968年4月23日 寛永15年(1638年)、松平信綱が異国船通報のために設置させた狼煙通信の起点。正保4年(1647年)マカオからの来航と文化5年(1808年)のフェートン号事件の際に狼煙を上げた。火入口・薪小屋・用水池詰番所跡が残っている。 琴尾山烽火台跡 諫早市多良見町佐瀬 1971年9月14日 設置時期は不明だが、烽火山からの信号を受けて大村城に通報する狼煙中継所。大村湾を縦断して平戸藩錐崎への中継も考慮されていたが、フェートン号事件の通報に不具合があり、以後、平戸藩は飛脚通信を所望した。火入口の遺構が残っている。 戸町番所跡4・5・6・7番石標柱 長崎市国分町 1963年10月30日 寛永19年(1642年)に佐賀藩が築造した長崎港警備の陣屋跡。対岸の西泊番所と連携し、両岸から長崎港を警備する。福岡藩・佐賀藩が隔年交代で駐留した。遺構の石柱は天保8年(1825年)設置。開国により元治元年(1864年)に廃止された。 鉅鹿家魏之えん兄弟の墓 長崎市西山町 1964年10月16日 元禄2年(1689年)頃に築造された墓。魏氏のリュウ禎・之エン兄弟を弔う。リュウ禎がベトナム、之エンが長崎で朱印船貿易に従事した。リュウ禎の遺骨が長崎に届き、之エンが死去したことを期に子が墓を造成した。之エンの子は帰化し、鉅鹿氏を名乗る。 ケンペル、ツュンベリー記念碑 長崎市出島町 1960年7月13日 文政8年(1825年)、シーボルトが建立したラテン語の石碑。元禄3年(1690年)に来日したエンゲルベルト・ケンペル、安永4年(1775年)に来日したカール・ツンベルクを博物学・生物分類学の先達として讃美する文を刻んでいる。 花月 長崎市寄合町・丸山町 1960年3月22日 文政元年(1818年)頃に丸山遊郭の引田屋が庭園に開いた茶屋跡。文人や芸術家のサロンとして機能し、年2回の書画清譚会には中国・朝鮮の作家も登場した。明治12年(1879年)焼失、引田屋本館に移転したが、大正15年(1926年)廃業で幕を閉じた。 長崎金星観測碑・観測台 長崎市西山町 1960年7月13日・1995年3月16日観測台追加 天文学者ピエール・ジャンサンが明治7年(1874年)12月9日に金星の太陽面通過を観測したことを記す四角錐の記念碑。100年に一度の金星の太陽面通過は当日全世界で観測され、ジャンサンは日本観測隊長。平成5年(1993年)には観測台も発見された。 ド・ロ神父遺跡(救助院跡・いわし網工場跡) 長崎市西出津町 1967年2月3日 ド・ロ神父が設立した社会福祉施設跡。救助院は明治16年(1883年)、いわし網工場は明治21年(1888年)落成。外海の経済・社会改善を通して布教を図るための実践例で、慶応4年(1868年)来日より大正3年(1914年)死去まで、外海の近代化に精励した。 国際海底電線小ヶ倉陸揚庫 長崎市小ヶ倉 1972年2月4日 明治4年(1871年)、国際海底電信ケーブルの揚陸権を取得したデンマークの大北電信会社が建設した煉瓦・石積倉庫。12年間で上海・ウラジオストクへ各2本のケーブルを敷設した。長崎外港整備に備えて解体移転したため、項目は「史跡」となる。 松島炭鉱第4坑跡 西海市大瀬戸町松島外郷 2015年2月19日 大正3年(1914年)の開削開始から出水事故による昭和10年(1935年)の閉山まで機能した炭鉱の遺構。松島炭鉱が開いた5坑のうち、現存する唯一の坑口で、第2竪坑跡・巻揚機庫・守衛室・変電所・電柱が残されている。
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