近世美濃窯における編年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 06:48 UTC 版)
近世瀬戸美濃窯の編年においては、井上喜久男が1976年に発表した編年は、17世紀を、元屋敷窯、窯ヶ根窯、清安寺窯によって区分する窯式編年であった。その後、1984年の田口昭三が標式窯を新旧関係ごとに五期にならべる編年を提示した。最近では、1989年に藤澤良祐による瀬戸窯の研究で前期をI期、同様に中期をII期、後期をIII期としてさらに全体を11小期に細分する編年が提示され、おおきく1668年までを前期、1772年ないし75年までを中期、1868年までを後期と把らえるようになった。美濃窯においては、楢崎彰一が1990年に発表した編年において前期をI期とII期に細分、後期をIV期とV期に細分してそれぞれの標式窯をあてはめる編年、さらに1994年に田口昭三が連房Iから連房Vに区分し、それぞれの標式窯をあてはめる編年となっている。
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