近世起源説への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:39 UTC 版)
「部落の起源論争」の記事における「近世起源説への批判」の解説
同和教育などで「部落は近世に作られた」とされてきたが、藤沢靖介によると、「織豊政権または江戸幕府が、まったく新たに被差別身分を作り出した」という学説を唱えた研究者は未だかつて一人もいない。 近年、中世以前に被差別民が集住した河原などの「無縁」の地と、近世において被差別民の居住地と定められた地、すなわち近現代の被差別部落に直接つながる土地とが互いに重なる事例が多く報告され、中世の被差別民と近世の被差別民の歴史的連続性が注目されるようになってきた。検地帳などにより「穢多」層の源流には、中世の賤民の系譜にあるもの、一向一揆を含めて戦国期の敗残者の系譜にあるものなどの存在も明らかにされている。 また、被差別部落の人口比率が高いのは、京都、兵庫、奈良、和歌山、愛媛の順(1908年調査)であり、東京(江戸)には少ないことから、江戸幕府が作ったものとするのは不自然である。室町時代には既に、村人が穢多に対する差別意識を記した史料が現れている。 かつての近世起源説に見られた、近世権力が無から突然被差別身分を作り出したかのような論説は近年は姿を消しつつあるが、歴史教科書などにおいては未だにこの論調が多い。
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