近世~現代
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江戸時代のこの地方は五街道として東西方向に岐阜県(美濃)には中山道、愛知県(三河・尾張)・三重県(伊勢)には東海道が整備された。 脇往還として東海道と中山道を結ぶ美濃路や下街道(善光寺道)、高山へ向かう飛騨街道、神宮へ向かう伊勢参宮街道、神宮と熊野を結ぶ熊野街道などがあり現代の交通網もこれらを踏襲している。 中山道は明治以降名古屋の影響力の強まりとともに、下街道や美濃路のルートが多く利用されるようになり、東西交通網としては後者がメインとなっていく。 鉄道路線の東海道本線は工事の容易さから名古屋(熱田)以西は四日市・鈴鹿峠方面への旧東海道ルートと異なり岐阜・関ヶ原方面に迂回しており、以後の東海道新幹線や名神高速道路も関ヶ原ルートを取っている。 しかしながら、新名神高速道路では三重県を通る旧来の東海道ルートに戻っている。
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近世~現代
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1784年、アメリカ合衆国の独立に伴って米国聖公会が成立し、英国領土以外では初の独立した聖公会となった。1867年には第1回ランベス会議が開催され、「アングリカン・コミュニオン」という国際的教会連合となっていった。 1833年にはイングランド国教会内において、オックスフォード運動と呼ばれる典礼および神学上の復古運動が始まり、カトリック的な伝統への回帰の動きが高まった。 他方、イングランド国教会の司祭であったジョン・ウェスレー(1703年~1791年)による、改革派プロテスタントの一派・アルミニウス主義に立脚したメソジスト運動が興され、メソジスト監督教会として聖公会から分離独立するなどの動きも出た。 現代においては、女性の聖職者を認めるか否かや、性的少数者に対する姿勢などの問題で、社会思想上の保守派と革新派の対立が生じており、保守的なグループが分離独立したり、聖職者がローマ・カトリックに改宗するなどの問題が起きている。(詳細は「エキュメニズム#失敗・分裂」を参照)
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近世・現代
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「バッサーノ・デル・グラッパ」の記事における「近世・現代」の解説
1796年、フランス革命戦争においてナポレオン率いるフランスとオーストリア帝国が戦ったバッサーノの戦い(英語版)の舞台となった。フランス革命戦争が終結しカンポ・フォルミオ条約が結ばれた結果、ヴェネツィア共和国領であったバッサーノはオーストリア=ハンガリー帝国の支配地域となる。1866年、普墺戦争に介入したイタリア王国は第3次イタリア独立戦争(英語版)によりヴェネト州を得て、バッサーノはイタリアの一都市となった。第一次世界大戦時、この街の北方にあるモンテ・グラッパで多数のイタリア軍人が犠牲になる戦いがあり、犠牲者を追悼するため街の名前を『バッサーノ・ヴェネト』から『バッサーノ・デル・グラッパ』に変更した。現在、バッサーノ・デル・グラッパはヴィチェンツァ広域圏の一部である。
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