近世〜現代
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ウィキソースに大胡町・宮城村・粕川村を廃し、前橋市に編入する件の原文があります。 1889年 - 鼻毛石・市之関・柏倉・三夜沢・苗ヶ島・馬場・大前田の7村が合併し宮城村となる。 1994年10月1日 - 勢多郡大胡町と境界変更。 2004年12月5日 - 勢多郡大胡町・粕川村とともに前橋市へ編入合併。
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近世 〜 現代(酒津分岐)
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「高梁川」の記事における「近世 〜 現代(酒津分岐)」の解説
現在の倉敷平野部では、高梁川の洪水に幾度も悩まされたため、度々河川の改修・治水工事が行われた。その後、1907年(明治40年)から始まった改修で東西の分岐点が、古地から現在の倉敷市酒津で東西に分岐するように変更され、東高梁川(東松山川)、西高梁川(西松山川)となった。旧分岐点から新しい西流(西高梁川)までの流路は柳井原貯水池となり現在に至る。 さらにその後の改修により、酒津分岐の東高梁川は廃川となり、1925年(大正14年)に明治期から続いた大改修工事は完成し、西高梁川が本流となり、現在に至っている。旧河口部には水島市街地、旧堤防には水島臨海鉄道水島本線や八間川用水などが造成された。
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