近世~第1次世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 11:51 UTC 版)
「ズミイヌイ島」の記事における「近世~第1次世界大戦」の解説
第6次露土戦争中の1778年には、ズミイヌイ島沖でフィドニシの戦いが繰り広げられた。1829年のアドリアノープル条約によって島はロシア帝国に帰属したが、1856年のパリ条約によって再びオスマン帝国の下に戻った。クリミア戦争中には、島はフランス、イギリス、オスマン帝国の連合艦隊がクリミア半島に上陸する前の集合地点となった。 島の考古学的調査は18世紀末~19世紀初め頃に開始された。最も重要なのはアキレスの祠の遺跡とされる建物の調査で、1823年、海軍中将クリツキーがサンクトペテルブルク科学アカデミーに代わって調査を行った。以来19世紀から今日まで何回かの調査が行われている。同じころ、黒海艦隊の運営に関連して黒海沿岸における灯台ネットワークの開発計画が進み、1843年にズミイヌイ島灯台が設立された。灯台建設においては、その遺構のレンガが建材として使われることとなった。 国際条約の条文においてその帰属が初めて明記されるのは、当時のヨーロッパ列強が締結した1878年のベルリン条約においてである。ここでは島がルーマニアに帰属することが確認され、オスマン帝国からの独立性が示された。第一次世界大戦中、イギリスの砲撃によって島の灯台が砲撃され、1922年にルーマニア人の手によって再建された。
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