被爆者への認識と対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 07:18 UTC 版)
「日本への原子爆弾投下」の記事における「被爆者への認識と対応」の解説
日本は世界で唯一、戦争における原子爆弾の直接被害を受けた国であるが、この経験は、太平洋戦争終結直後から、米国国務省内で原子爆弾の使用に反対した者たちの予想 にも反し、日本国民の反米感情や報復意識には繋がっていない。1946年の日本でのアメリカ戦略爆撃調査団による大規模調査結果によると、広島、長崎では19%、日本全体でもわずか12%の被調査者のみが、原爆投下に対しアメリカに憎しみを感じたという。また戦後20年間の書籍、新聞、雑誌の原爆関係記事では、おおむね原爆の悲惨さを訴えるものが多く、アメリカへの恨みはほとんどないという。しかしこれらの「沈黙」は、その後の生活に必死で心情を吐露する余裕がなかったことや、被爆による悲惨な経験を思い出したくない、就職や結婚での差別や偏見を逃れたい、犠牲になった同胞を差し置いて自分のみが生き残った後ろめたさなどの感情があると推察され、また占領軍による検閲が1945年9月19日から1949年10月末まで行われ、被爆者が自己の経験を語ることはもとより、原爆に関する科学的・医学的情報の公開まで禁じられたことが背景としてある。 救護を目的としない被爆者の詳細な健康被害調査は原爆投下直後から日本側により開始された。この日本側調査報告書は戦後直ちに米国側に全て英訳されて渡された。これは米国の提出命令によるものではなく、自主的なものであり、戦後も日本側は米国の調査に積極的に協力していたことが、米国公文書公開によって明らかになっている。これらの調査は詳細かつ執拗で、被爆者に治療とは関係のない薬物を投与し、その反応を観るといったものまでなされていた。調査結果は米国核戦略上の資料となり、永く被爆者の救済に用いられることはなかった。 原子爆弾が日本国民にもたらしたものは、反米感情ではなく、放射能、放射線に対する「恐怖」であった。そしてそれは戦後しばらくの間、被爆者に直接、向けられた。新聞・雑誌などにおいても被爆者は「放射能をうつす存在」あるいは重い火傷の跡から「奇異の対象」などとして扱われることがあり、被爆者に対する偏見・差別は多くあった。このため少なからず被爆者は自身が被爆した事実を隠して暮らすようになっていった。今日、日本放送協会は、これを戦後のGHQによる言論統制の影響、すなわち正しく原爆に関する報道がなされなかったために、当時、放射能・放射線の知識が一般的でなかったことと相まって、誤った認識が日本国民の間に蔓延したためであったと分析・公表している。また、RCC記者であった秋信利彦は、当時の被爆者の報道機関に対する強い反感と反発の実態について証言している。この日本国民の放射能、放射線に対する「恐怖」は、当時米国が優位にあった原子力産業の日本進出を決定的に阻むものともなり、日本の主権回復後、米国は民間を中心に莫大な経費を投じ、原子力平和利用キャンペーンを日本国内各地で展開している。 被爆者への救護施策は1945年10月の各救護所の閉鎖をもって終了し、以降、何の公的支援もなされない状況が長く続いた。国の被爆者援護施策は、1957年4月の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)施行より、実質的には1960年8月に「特別被爆者制度」が創設されて以降である。しかしこの被爆者援護施策は限定的で、救済されない被爆者が多く、概ね充実したのは実に1995年7月の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)の施行以降である。 東京地方裁判所は、1963年12月7日、被爆者は損害賠償請求権を持たないとして、日本へのアメリカ軍による原子爆弾投下は国際法に違反したものであり、また同時に大日本帝国の戦争責任を認め、引き継ぐ日本国が十分な救済策を執るべきは立法府及び内閣の責務であるとする判決を下し、確定した。以降、今日に至るまで、日本国内の被爆者関連の施策あるいは裁判において、この基本的な考え方が準用され続けている。 しかし今日、日本では「核兵器廃絶運動に関心はなく、具体的に参加したこともない」とする人が20代、30代の男女で23~25%いるとする調査結果 や、平和活動未経験かつ参加したくないとする人が23%いるという調査結果 などから、特に若年層を中心として、広島・長崎への原爆投下に対する問題意識の希薄化が進んでいるとされる一方で、原爆投下における体験の継承の重要性の認識とは裏腹に、継承がうまくいっていないとする回答 や、平和教育の不十分さを指摘する調査結果 も出ている。終戦直後はともかく、こういった今日に至るも原爆投下に関してアメリカの加害責任を問うことなく、その原因と責任の全てを、おおむね日本の軍部などに求め「過去のものにする」世論は、やはり戦後のGHQによる言論統制によって形成されたものだとする意見もあるが、これについては他にも類似の、あるいは全く異なる意見[要出典]があり、本稿では控える。 原子爆弾の投下によって生じた悲劇は、21世紀に入った現在においてもなお終結しているものとはいえない。他の兵器と原子爆弾による人的被害の決定的な相違は、強力な原爆放射線や放射能によってもたらされた難治性疾患や永続的な後遺症(晩発性疾患を含む)にあり、生き残った被爆者やその家族に現在もなお、現実的な労苦を強いるものとなっている。これは少なくとも全ての被爆者が亡くなるまで続くものとされると主張している。現在のところ公式には(日本国政府などの見解としては)否定されているものの、医学的見地などから、被爆者や、その親を持つ子(被爆二世)さらに被爆三世への健康的・遺伝的影響について、調査・研究が継続されている[要追加記述] 反面、打ち切りになったもの もある。また、広島、長崎両市では被爆二世への健康診断(任意検診)も行われている。 2012年6月3日、長崎原爆資料館で開催された第53回原子爆弾後障害研究会、広島大学の鎌田七男名誉教授らによる「広島原爆被爆者の子どもにおける白血病発生について」の研究結果発表、すなわち広島大学原爆放射線医科学研究所研究グループの長期調査結果報告において、被爆二世の白血病発症率が高い、特に両親ともに被爆者の場合に白血病発症率が高いことが50年に渡る統計結果より明らかにされた。これにより、まだ一部しか解明されたとしかいえないが、医学的に少なくとも被爆二世への遺伝的影響の否定はできないことが明らかにされた。
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