被爆者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:28 UTC 版)
1930年、長崎市に生まれる。1945年8月9日、長崎県立長崎工業学校1年時の14歳の時に、学徒動員で通っていた三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.4kmの地点)で、防空壕を掘る作業中に被爆、顔と全身に大火傷を負った。大村海軍病院に搬送され、1946年3月9日に退院した。退院後も顔から胸に残ったケロイド痕に悩まされた。1951年に同校機械科を卒業したが、就職時には学徒動員先だった三菱造船をはじめ多くの企業で体格検査に不合格となった。そのため五島の父親のもとで駄菓子屋と農業をして生活した。1953年には土地を売って長崎市に戻り、1957年まで饅頭屋を営んでいた。
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