被爆時の状況とは? わかりやすく解説

被爆時の状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 20:41 UTC 版)

原爆ドーム」の記事における「被爆時の状況」の解説

広島市への原子爆弾投下」も参照 1945年昭和20年8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、アメリカ軍B-29爆撃機エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋投下目標として原子爆弾リトルボーイ」を投下した投下43秒後、爆弾建物の東150メートル上空600メートル地点(現・島内科医院付近)で炸裂した。 原爆炸裂後、建物0.2秒で通常の日光による照射エネルギー数千倍という熱線包まれ地表温度は3,000達した。0.8秒後には、前面衝撃波を伴う秒速440メートル上の爆風参考として気温30時の音速は秒速349メートルである)が襲い350パスカルという爆風圧(1平方メートルあたりの加重35トン)にさらされた。このため建物は、原爆炸裂後1秒以内3階建て本体部分がほぼ全壊したが、中央のドーム部分だけは全壊免れ枠組み外壁中心に残存した。 ドーム部分全壊しなかった理由として、 衝撃波受けた方向がほぼ直上からであったこと 窓が多かったことにより、爆風が窓から吹き抜けるドーム内部空気圧外気より高くならない条件整ったこと ドーム部分だけは建物本体部分異なり屋根構成材が銅板であったこと。比べて融点が低いため、爆風到達前の熱線により屋根融解し爆風通過しやすくなったこと などが挙げられている。ドーム部分全体押し潰されるほどの衝撃を受けなかったため、爆心地付近では数少ない被爆建造物被爆建物)として残った原爆投下時建物内勤務していた内務省職員ら約30名は、爆発にともなう大量放射線被曝熱線爆風により全員即死した推定されている。なお、前夜宿直にあたっていた県地方木材会社の4名のうち、1名は原爆投下直前の8時前後自転車帰宅し自宅前で被爆し負傷したものの、原爆投下当日産業奨励館に勤務していた人物の中で唯一の生存者となったその後しばらくはまだ窓枠などが炎上せずに残っていたものの、やがて可燃物に火がつき建物全焼して、ついにレンガ鉄骨などを残すだけとなった

※この「被爆時の状況」の解説は、「原爆ドーム」の解説の一部です。
「被爆時の状況」を含む「原爆ドーム」の記事については、「原爆ドーム」の概要を参照ください。

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