被爆日誌の刊行と『廣島特報』とは? わかりやすく解説

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被爆日誌の刊行と『廣島特報』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 14:08 UTC 版)

大佐古一郎」の記事における「被爆日誌の刊行と『廣島特報』」の解説

その後戦後の社の再建中堅社員として関わった大佐古は、在職中から広島原爆記録する活動進め中国新聞社による『中国新聞原爆犠牲者追悼録 いしずえ』『中国新聞八十年史』、広島県による『広島県庁原爆被災誌』の編纂執筆者として関与した中国新聞社退職後の1975年2月、同紙夕刊連載企画として、記者になってからの習慣書き綴っていた1945年当時日録をもとに「昭和二十年 - ヒロシマ記者日記から」を執筆し同年8月、これを『広島 昭和二十年』として中公新書から刊行した。しかし記者生活心残りとして、被爆後8月7日8月8日両日休刊(および中国新聞社発行機能停止)により自分見聞取材した被爆直後状況記事にできなかったことを強いこだわり持っており、1980年同じ被爆ジャーナリストとして同様の思い抱いていた中村敏被爆当時同盟通信広島支社編集部長。のち共同通信)・松重美人被爆当時中国新聞カメラマン)と共同で、NHK総合制作NHK特集爆心地ジャーナリスト」(同年8月放送)の企画として、「当時視点書かれ原爆投下ニュース昭和20年8月7日8日付の新聞として発行し被爆後2日間の報道空白埋める」試み行い表裏2面タブロイドミニコミ紙「廣島特報」として刊行配布した大佐古は同紙で当時記事にできなかった先述松村参謀長による「中国軍管区司令部発表」を掲載するとともに当時および1980年双方視点コラム執筆した

※この「被爆日誌の刊行と『廣島特報』」の解説は、「大佐古一郎」の解説の一部です。
「被爆日誌の刊行と『廣島特報』」を含む「大佐古一郎」の記事については、「大佐古一郎」の概要を参照ください。

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