被爆前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/16 08:40 UTC 版)
「NTT西日本十日市ビル」の記事における「被爆前まで」の解説
被爆建物である1棟は1937年(昭和12年)竣工。1939年(昭和14年)、市内初の自動交換局「広島中央電話局西分局」として開局した。 太平洋戦争ごろには、ここと袋町の中央局の他に、三篠本町の電気試験所広島出張所に西分局横川従局、福屋百貨店(福屋八丁堀本店)地下に電話処置局が設置されていた。 戦争末期には防空警報伝達機関として重要な位置を占めていた。燈火規制により窓には暗幕が張られ、機器が置かれた重要な部分には防爆壁や厚板による扉を設置、周囲約30mは火災防止のため建物疎開された。 電話局自体は、疎開や男子職員の応召により職員は減っておりその足りない部分を女子挺身隊あるいは動員学徒で補っていた。この西分室における職員構成は、局課長主事1人(女性)・判任官4人・雇員1人・挺身隊1人・学徒57人で、男性の割合は1.5%にまで減少している。挺身隊は職員と同等の権限が与えられ、動員学徒は進徳高等学校(現進徳女子高等学校)から派遣され日給50銭を支給していた。
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