中央局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 05:00 UTC 版)
SMADは、1945年7月27日の命令第17号によって、「経済の発展と交通・報道制度の復興、福祉厚生および国民教育制度の再建のため」、いわゆる「ドイツ中央局(DZVs )」をソ連占領地域内に設立するよう指示した。この中央局は、SMADを補助し、同時にドイツ圏内に社会主義国家を建設する土台を築くこととなった。そのうちのいくつか、例えば司法中央局(ドイツ語版)は、1949年の東ドイツ建国時には、バラバラになって諸省庁に移管された。1945年秋までに、その種の中央局は全部で11局作られた。それぞれが、交通制度、報道制度、エネルギー産業、商業、工業、農業、金融、労働・社会福祉、保険制度、教育(ドイツ語版)、司法(ドイツ語版)を管轄した。他にもSMADの命令で、1947年半ばまでに5つの中央局が設置された。ドイツ移民局(1948年解散)、統計局、強制執行・差押に関するドイツ中央委員会、内務中央局、東西国境地帯および外国貿易局である
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