東ドイツ建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:09 UTC 版)
「ヴァルター・ウルブリヒト」の記事における「東ドイツ建国」の解説
1945年4月、「ウルブリヒト・グループ」はソ連から占領下のドイツに送られ、正統的スターリン主義に基づいてドイツ共産党(KPD)の再建を始めた。1946年ソ連占領地区で、ドイツ共産党とドイツ社会民主党(SPD)が半強制的に合併させられ、スターリン主義政党ドイツ社会主義統一党(SED)が誕生した。ウルブリヒトはSEDの成立過程でKPDが主導権を握るように画策した中心人物となり、SPDのメンバーだった党員に対する激しい粛清がこの時期に行われたとされている。 1949年10月、ソ連占領地区がドイツ民主共和国となると、ウルブリヒトはドイツ社会主義統一党の中央委員会書記長(後に第一書記)に就任し、同時にヴィルヘルム・ピークが国家元首である大統領、オットー・グローテヴォールが首相となったが、実権はウルブリヒトが掌握していた。1953年、スターリン批判の影響で東ベルリン暴動が起きると、ドイツ駐留ソ連軍の手も借りてこれを鎮圧する。 1957年、ソ連の対外活動の顔だった第一副首相アナスタス・ミコヤンが訪独すると、ウルブリヒトは北部(ノルトフォアポンメルン)の Trinwillershagen にあった集団農場に彼を招き、東ドイツの農業集団化の進展を紹介した。1955年に第一副首相となり、1960年にピークが没すると彼は大統領制を廃止し、国家評議会議長として国家元首も兼任した。同年までに、ウルブリヒトはポツダムにあった衛戍教会、ポツダム宮殿(ドイツ語版)(Potsdamer Stadtschloss)などの戦災で被災した王政時代の歴史的建造物を破壊するという暴挙に出て、市民の反発を買った(ドイツ統一後、前者は再建の準備が進められており、後者は2013年に再建された)。
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