東ドイツ政府の所在地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 01:41 UTC 版)
「パンコウ」という単語は西ドイツでは換喩的に用いられ、東ドイツの指導部を指した。それは1949年からシェーンハウゼン宮殿(ドイツ語版)に東ドイツの大統領府が置かれていたためである。なお東ドイツの大統領(ドイツ語版)は当時ヴィルヘルム・ピークであった。大統領制が廃止された後も、1964年にミッテ区の国家評議会ビル(ドイツ語版)に移転するまで、シェーンハウゼン宮殿は国家元首を担う機関である国家評議会の所在地であった。付近のマヤコフスキーリング(ドイツ語版)とともに東ドイツの政治の中枢であった。しかし1974年以降、東西ドイツの関係が改善すると「パンコウ」という用語は影を潜めた。ただし1983年には、ウド・リンデンベルク(ドイツ語版)の歌謡曲『パンコウ行きの特別列車(ドイツ語版)』で再び日の目を見ることになった。
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