東ドイツ指導部の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:14 UTC 版)
「スターリン・ノート」の記事における「東ドイツ指導部の反応」の解説
東ドイツではこの書簡は正式な形で熱烈に受け止められた。ドイツ社会主義統一党の機関紙「ノイエス・ドイチュラント」は 「平和的統一を目指すドイツ国民の愛国的勢力の闘争」(愛国的勢力とは主に共産主義勢力のことを指している。)を重視した。 東ドイツのオットー・グローテヴォール首相(SED)は3月14日の政府宣言で、覚書をどのように解釈したかについて述べ、その中で東ドイツを民主的な自由国家、ドイツ連邦共和国を非民主的なファシズム国家と表現し、統一ドイツの中に反平和・反民主勢力があってはならず、さらにドイツ全体が東ドイツの5カ年計画に同調しなければならないとした。ドイツ社会主義統一党中央委員会書記長のヴァルター・ウルブリヒトは覚書の解釈についてはっきりとした見解を示した。それはドイツは西側に依存するようになるきっかけとなった「一般戦争条約」(ドイツ条約(ドイツ語版)を指す)に対する反応として理解されるべきであり、ドイツは共産主義、いわゆる「世界平和圏」の中でしか自由で平和的に発展する事ができないとした。
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