東ドイツ国鉄243形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:37 UTC 版)
「東ドイツ国鉄243形電気機関車」の記事における「東ドイツ国鉄243形」の解説
1984年時点の東ドイツ鉄道網のうち、ハーレ・ケーテン間の試験区間を除き、120 km/hを上回る速度に対応できる路線は存在しなかった。そこで243形多目的機関車がまず供給された。試作車との外観上の違いは、屋根部の中央に透明な窓があり、その前後に外気取り入れ口が設けられているのに対し、量産車では透明窓が廃止された。同年に最初の20機が納入され、その後は毎年100機前後が製造され、1989年末には500番目の機関車が納入された。 299号機からは機関車の両頭部が空気流動に対して最適に形成されるようになり、空気抵抗によるエネルギー損失が約5 %低下した。112.0形・112.1形も同じくこの両頭部の形態で製作された。 1988年からは800番台の機関車に対して、重連運転を可能とするために、多重制御方式が適用された。その後、1990年12月までに、機関車109両が多重制御方式を装備しない車輛が109機製造され、東ドイツの国鉄が調達した243形は合わせて636機以上に達した。1991年1月2日に最後の生産となる659号機が投入された。 1989年秋の東ドイツの政治的変化とそれに続く東西ドイツの通貨・経済・社会統合の後で東ドイツの貨物運送は急激に衰えて、大部分の243形は留置線に待機することになった。1990年8月には922-2号機がスイス南東鉄道(ドイツ語版)線(SOB)へリースされた。(1995年にドイツ鉄道へ戻り、ドイツ国内運行へ復帰)他の車輛は旧西ドイツ地域で運行できるかどうか確認のため、フライブルクおよびデュッセルドルフへ回送された。
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