東ドイツ大統領
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「ヴィルヘルム・ピーク」の記事における「東ドイツ大統領」の解説
1949年、ソ連占領地域はドイツ民主共和国(東ドイツ)として独立し、ピークは初代大統領(Präsident der Republik)となった。1950年にヴァルター・ウルブリヒトが党の第一書記に就任すると、彼はSEDの議長の座を失った。それでもヨシフ・スターリンの信頼により、他のポストは維持された。ピークは新たにドイツ社会主義統一党の指導者となったヴァルター・ウルブリヒトと違い、彼は国民の間からの人気もあった。ただしその在任の後期には健康状態の悪化から公式の場に現れることはほとんどなかった。 ピークは1960年の心臓麻痺による死去まで東ドイツの初代にして唯一の大統領を務めた。スターリニズムを世界へ、とりわけ東西の境界に位置するドイツへ広げるピークの能力をスターリンは信頼していた。彼のイデオロギーはスターリンからの全面的な信頼を得るのに役立ち、その結果東ドイツの指導者として最後まで務め上げることができた。ピークが大統領になった時はすでに73歳であった。彼は名目上、ドイツ民主共和国においてグローテヴォール首相に次ぐ国家最高ポストを持ち、党設立後の4年間はSED共同議長を務めたが、党内で大きな影響を持つことはなかった。1953年7月13日、2度目の脳梗塞を患う。また、肝硬変が進行し、腹水が溜まっている状態であった。2度目の脳梗塞の前に作成された詳細な診断書には、「右の軽い麻痺、口角が少し下がり、呼吸は喘ぎかいびき、脈拍は遅くなり、四肢筋の調子は低下・・・」と記されている。1960年9月7日心臓発作で亡くなった。 旧東ドイツ時代には彼の出身地グーベンが公式には「ヴィルヘルム・ピーク都市グーベン」と呼ばれたほか、ロストック大学も彼の名が冠されヴィルヘルム・ピーク大学と改名され、また各都市で大通りや広場に彼の名が付けられた。そのほとんどは1990年の東西ドイツ再統一の際に東ドイツ以前の旧名に戻されるか改名されたが、少数ながら現在も残っている所もある。
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