東ドイツの映画
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東ドイツ領には、当時ソ連占領地区に残っていたウーファのスタジオなどの映画産業に関する基盤があり、西ドイツと比べると、映画製作は順調なスタートを切ることが出来た。ソ連の関係者は、映画産業を再び振興させることに熱心であり、ドイツ降伏のわずか3週間後の1945年5月にはベルリンの映画館を再開するように命じた。1946年5月に製作会社 「DEFA」が設立され、1945年10月にソ連軍占領当局によって押収されていた映画関連施設を引き継ぐことになる。名目上は株式会社であったが、DEFAの株の大半はドイツ民主共和国 (GDR) の第一党となっていたドイツ社会主義統一党 (SED)が持っており、社会主義を称揚し、非ナチ化を推し進めるという目的があった。 DEFAは約900本の長編映画、約800本のアニメ映画、3000本以上のドキュメンタリー映画や短編映画を製作した。DEFAの初期において、映画製作は厳しい監視下に置かれ、その内容は社会主義を推進するようなものに制限されていた。ニュース映画と教育映画を除き、1948年から1953年の間に50本の映画しか撮影されなかった。しかし、次第に様々なジャンルの映画が多く製作されるようになっていく。DEFAは特に『Drei Haselnüsse für Aschenbrödel (シンデレラ/魔法の木の実)』(1973)といった子供向けのファンタジー映画を特徴としたが、他にも『金星ロケット発進す』(1960)といったSF映画、スタニスワフ・レムの小説を脚色した西部劇(アメリカの西部劇と違い、ネイティブ・アメリカンが主人公)『The Sons of the Great Mother Bear』(1966)なども製作した。こういった作品はワルシャワ条約機構に属するほかの国と共同制作されることとも多かった。 他にDEFA製作の映画としてはハインリヒ・マン原作でヴォルフガング・シュタウテ監督の『臣民』(1951)、クリスタ・ヴォルフの小説の映画化作品、フランク・バイヤーがユーレク・ベッカー作品を映画化した『嘘つきヤコブ』(1973)、東ドイツ映画として唯一オスカーにノミネートされた『パウルとパウラの伝説』(1973)などがある。 ドイツ民主共和国において、映画産業は常に国の政情に左右されていた。例えば1950年代、ヴァイマール時代の共産主義指導者エルンスト・テールマンはいくつかの映画で聖人のような扱いをされたが、1960年代になって映画製作者たちはあからさまなスターリニズム的アプローチからは次第に離れていった。しかし、彼らがドイツ社会主義統一党の政治家たちの気まぐれに振り回されることに変わりはなかった。 1970年代後半、アンゲーリカ・ドムレーゼ、エヴァ=マリア・ハーゲン、カタリナ・タルバッハ、ヒルマール・ターテ、アーミン・ミューラー=スタールなど、多くの映画人が仕事上の制約を嫌って西に逃れた。 ドイツ民主共和国の後期、外国映画の配給が広がっていき、結果としてDEFAの重要性は薄れていった。ドイツ再統一に続き、1992年にDEFAは国有資産の民有化を進める信託組織「Treuhand」に売却され、映画アーカイブなどの知的資産は非営利団体である DEFA-Stiftungに引き継がれ、その後はプログレスフィルム(Progress Film)が配布、ディジタル化などを行なっている。
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