東ドイツでの社民党再建とは? わかりやすく解説

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東ドイツでの社民党再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:46 UTC 版)

ドイツ社会民主党」の記事における「東ドイツでの社民党再建」の解説

東欧革命結果民主化が進む東ドイツ1989年9月から10月初旬にかけて民主化求め在野政党・政治団体続々創設された。その一つとして東ドイツ社会民主党ドイツ語版)が10月7日創設された。43年ぶりの東ドイツでの社民党再建となった。同党の略称は当初SDPだったが、1990年1月13日には西側社民党と同じSPD改正した東ドイツ社民党ソビエト連邦ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカ流の政治改革唱え人民議会選挙自由選挙にし、それに候補を出すことを目指した。1989年12月7日独裁政ドイツ社会主義統一党及びその衛星政党在野勢力対話の場として円卓会議設置される社民党在野勢力一つとして参加した数度にわたる円卓会議結果人民議会選挙1990年3月18日自由選挙行われることになった1990年2月5日第11回円卓会議では「選挙機会均等のため」として西ドイツから弁士応援を受けることを放棄するという決議が行われたが、これに反対した社民党ドイツキリスト教民主同盟(CDU)(東ドイツ衛星政党だったが民主化後は路線転換し、西のCDU支援受けた)などは、決議に従うつもりはないと宣言しそれぞれの背後にある西側同名政党応援受けた選挙戦中、西側社民党元首相ヴィリー・ブラント12回にわたって東ドイツ遊説送り込むなどして東側社民党積極的に支援した一方西側キリスト教民主同盟現役西ドイツ首相ヘルムート・コール東ドイツ遊説送り東側キリスト教民主同盟支援した。この選挙主な争点統一問題だったが、ほとんどの党派統一賛成しており、特にキリスト教民主同盟社民党など西側政党模して作られ政党統一に熱心だった。統一方法巡ってキリスト教民主同盟が「西ドイツ併合される」、社民党が「両ドイツ国民新憲法作る方法訴えたが、両党とも西ドイツ体制ベースとした統一という点では本質的差異はなかった(一方社会主義統一党改組された民主社会党西側パートナー持たない同盟90は「東ドイツ独自性維持しつつ統一へ」と訴えていた)。 事前世論調査では社民党有利との観測出ていたが、1990年3月18日投開票結果キリスト教民主同盟163議席獲得して第一党になる一方社民党88議席第二党とどまった選挙後発足したキリスト教民主同盟党首ロタール・デメジエール首相とする政権には社民党参加したが、統一選挙の日程をめぐって東西社民党デメジエール対立し政治的駆け引きから8月政権離脱したその後東側社民党1990年9月26日党大会西側社民党との合流決議した直後1990年10月3日東ドイツ西ドイツ併合される形でドイツ再統一が行われた。再統一後最初選挙である同年12月総選挙連邦議会選挙)で社民党コール政権打倒失敗しているが、この時に旧東ドイツ地域では社民党得票伸び悩んでいる。

※この「東ドイツでの社民党再建」の解説は、「ドイツ社会民主党」の解説の一部です。
「東ドイツでの社民党再建」を含む「ドイツ社会民主党」の記事については、「ドイツ社会民主党」の概要を参照ください。

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