東ドイツ時代から再統一へ
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「ドイツ自由民主党」の記事における「東ドイツ時代から再統一へ」の解説
東ドイツにおいては、ドイツ自由民主党は人民議会の500議席中52議席を割り当てられ、形式的な勢力を保っていた。しかし当局や社会主義統一党の施策に反対することはほとんどなかった。だが1967年にマンフレート・ゲルラッハが党首となって以降、1980年代には微妙に当局と距離をとり始め、東欧革命とベルリンの壁崩壊に際しては比較的早い時期からエーリッヒ・ホーネッカーの独裁体制に異を唱えた。ゲルラッハは東ドイツの国家元首である国家評議会議長に就任した。 東ドイツ最初で最後の自由選挙となった1990年3月18日の人民議会選挙では党名をLDPに戻したうえ、東ドイツ自由民主党(Freie Demokratische Partei der DDR)、ドイツ・フォーラム党(市民団体・新フォーラムの反共保守派が組織した政党)と自由民主同盟(Bund Freier Demokraten, BFD)を組んで5.3%の得票で21議席を獲得した。 その後、BFDを組んだ他党やドイツ国家民主党とともに、1990年8月11日に、西ドイツ側の自由民主党にドイツ再統一に先んじて吸収合併された。
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