東ドイツ時代の発展
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「シュヴェリーン市電」の記事における「東ドイツ時代の発展」の解説
シュヴェリーン市電の運行が再開されたのはソビエト連邦(ソ連)が占領していた時代、1946年5月1日で、1949年に1号線(旧)を除く全線の運行が再開された。また1952年には系統の再編が実施され、3号線は「1号線」に番号が改められた。運営組織についても東ドイツ成立以降幾度かの再編を経て人民公社のシュヴェリーン地方輸送会社(VE(K)Nahverkehrbetrieb Schwerin)が運営する事となった。1950年代以降は東ドイツ製の2軸車の導入が続き、それに合わせた線形改良も実施された。 だがそれ以降もシュヴェリーン市電の存廃に関する議論は続き、1960年代には新たな路線が建設される一方で需要が少ないと見做された路線は廃止され路線バスへと置き換えられた。この状況が大きく変わったのは、1971年に開催されたドイツ社会主義統一党の党大会においてシュヴェリーンのヴストマルク地区(ドイツ語版)の大規模な工業開発の決定が決定した時であった。これに併せて従業員が暮らす大規模な工業団地もグローセル・ドレーシュ地区(ドイツ語版)に建設され、シュヴェリーン市電は双方を繋ぐ役割を担う事になったのである。 この両地区を結ぶ路線は、チェコスロバキア(現:チェコ)製の路面電車車両であるタトラT3に規格を合わせた、一部に高架区間を有する高速路線として設計が行われ、1974年10月6日に最初の路線が開通し1984年までに全区間が完成した。開業当初こそ電力不足により従来の2軸車が使用されたものの、以降は同路線を含めてタトラT3がシュヴェリーン市電における主力車両となり、2軸車を置き換えるため1988年まで継続して導入が実施された。他にも1980年には新たな車庫が建設されている。 また、同時期にはオイルショックの影響により路面電車による貨物輸送が計画され試運転も実施されたが、結果が思わしくなく定期運転開始までには至らなかった。 東ドイツ製の2軸車(2007年撮影) 1970年代以降はタトラT3の大量導入が行われた(1991年撮影)
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