南部中央局を破壊する為の指令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/02 09:05 UTC 版)
「南部中央局」の記事における「南部中央局を破壊する為の指令」の解説
紛争の間のアメリカ軍の大きな不満の一つは、北ベトナムの兵站でのパイプや基地としてのラオスやカンボジアを利用している事であった。リンドン・ジョンソン政権期に、アメリカ軍は基本的に双方の中立国の供給ルートや聖域を攻撃する事で民兵によって戦争を拡大する事を許されていなかった。一つの試みは1967年2月と3月に国境付近でジャンクションシティ作戦(英語版)の間に中枢部を占領、或いは破壊する為に行われた。 南部中央局の様な反逆的な基地に対する爆撃を妨げる事は太平洋にあったソ連の船によって供給された補助だった。南シナ海に置かれていたソ連の船は南ベトナムのベトコンに早期の必要不可欠な警告を与えた。ソ連の諜報船はアメリカのB-52が沖縄県やグアムから飛んで来るのを見付けた。そして彼らの大気速度と南部中央局の中枢部の方向を追い掛けた。南部中央局は可能性のある目標を決定する為にこのデータを使い、そして下部組織に垂直に動く様に指示した。 空爆が大ダメージを与えている間、1968年から1970年頃からの初期の警告が中枢部複合体の一人の軍人、若しくは民間人の指導者を殺害する事を防いだ。 後に、リチャード・ニクソン大統領が国境偵察攻撃を承認、1969年に初めて行われたメヌ作戦(英語版)として知られる隠された空爆攻撃の際にはカンボジアの南部中央局の疑わしい所在地は繰り返し徹底的に攻撃された。1970年の春には、明白な地上攻撃が起きた。最初に南ベトナム軍の攻撃、その後に南ベトナム軍とアメリカ軍が攻撃し、後にカンボジア戦役(英語版)と呼ばれた。 3月18日には、カンボジア国会が指導者シハヌークを追放(英語版)し、ロン・ノルを暫定的な国家元首に指名した。このクーデターに対する北ベトナムの反応は迅速だった。ロン・ノルの北ベトナム軍やベトコンに対する3月12日の最後通牒がカンボジアから立ち退く事を強制する前でさえ、彼らは兵站の制度、ホーチミン・ルートをラオスの東南部からカンボジアの北東部まで引き伸ばし始めていた。シハヌークの退位やロン・ノルの反北ベトナム的な行動の後に、北ベトナム軍はカンボジア軍に対しCampaign Xという名の攻撃を開始した。彼らは直ちに東部と北東部の広範囲の部分を接収、コンポンチャムを含むカンボジアの幾つかの都市を孤立させて包囲し荒らした。クーデター後に南ベトナム軍とカンボジア軍が戦闘に加わる事を恐れて、南部中央局は1970年3月19日に新しくベトナムが統治していたカンボジアのクラティエに立ち退かせた。 南ベトナム共和国とベトコンの本部が南部中央局が3月30日にカンボジア入りする準備していた時、彼らは南ベトナム軍によってヘリコプターで追い掛けられ掩蔽壕に取り囲まれていた。取り囲まれ、彼らは日暮れを待ち望んで、そして第七部隊によって供給される安全によって彼らは包囲を破壊し南部中央局と共に北へ、カンボジアのクラティエに逃亡した。当時南ベトナム共和国の法務大臣をしていたチョン・ヌー・タン(英語版)が、雨の日の強行軍の翌日に北の基地に向かったと後に語っている。縦隊がルート7を渡った直前に、彼らは4月3日に第9部隊が南ベトナム軍を相手にカンボジアのクレックという町での戦いで戦って勝利したという知らせを受けた。数年後、チョンは南ベトナム共和国政府の逃亡(英語版)中に、単に如何に南ベトナム人が南部のレジスタンスの中心人物、民間人や軍隊の多くの統率者と共に、我々の前線の兵士達の精鋭部隊を絶滅させるか捕えようとしていたかを回想している。 一月後、4月の終わり頃に、アメリカ軍と南ベトナム軍は再び挑戦した。最初の南ベトナム軍のカンボジア戦役の攻撃は、南ベトナム軍とアメリカの地上部隊の攻撃によって行われ、「聖域を綺麗にする」事を試みていた。しかしながら、北ベトナム軍とベトコンは既に3月19日に退去していた。南部中央局とその下部組織は既にクラティエに撤退し破壊を回避する事に成功した。24時間近くの調査にも拘わらず、無線探知や送信力の著しい減少は、彼らの新しい居場所を探知する事を困難にさせた。 爆撃や侵略の軍事的利益や悲劇的な反響は論争の的となっている。ウェストモーランドはニクソンが南部中央局の捕獲をカンボジアでの活動の主な目的とした事を「不運」だと考えた。この事はニクソンに評論家に委ねさせ、彼らは既にニクソンを軽蔑していたが、恰もそれが「聖杯」であるかの如く南部中央局に固執している大統領の考えを嘲けっていた。キッシンジャーは南部中央局破壊の為のカンボジア侵攻や他の中枢部複合体がアメリカ軍や南ベトナム軍に一年掛かると発言した事を引用された。南部中央局のメンバー達は基本的に同意している。しかし撤退の費用に見合うだけの成果によって得られた長期に渡る政治的優位を見ている。
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