職員構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 19:27 UTC 版)
督 四等官における長官「かみ」に当たり、官位相当は正五位上。799年(延暦18年)4月27日に従四位下に昇叙し、以後定着する。定員は左右各1名。 佐 四等官における次官「すけ」に当たり、官位相当は従五位下。799年(延暦18年)4月27日に従五位上に昇叙し、以後定着する。定員は左右各1名。 大尉・少尉 四等官における判官「じょう」に当たり、官位相当はそれぞれ従六位下・正七位上。定員はそれぞれ左右衛府及び衛門府各2名。 大志・少志 四等官における主典「さかん」に当たり、官位相当はそれぞれ正八位下・従八位上。定員はそれぞれ左右衛府及び衛門府各2名。 その他に 医師 - 正八位下相当 門部 - 宮門を守衛 衛士 - 宮門を守衛 物部(通行人を検察)、使部、直丁らがいた。→(番上を参照) また衛士府に併合されるまでは被官として 隼人司を有した。(その後は兵部省に移管)
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職員構成
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督 従四位下に相当。定員は左右各1名。権官はなかった。中納言・参議が兼任することが多く、また左右兵衛督を加えた計4名のうちの1人が検非違使別当を兼ねるのが慣例であった。唐名は金吾大将軍・監門大将軍。 佐 従五位上に相当。定員は左右各1名。権官があった。左右衛門権佐は検非違使宣旨を蒙る例であった(正官である左右衛門佐は検非違使を兼ねない)。唐名は金吾将軍・金吾次将・監門小将軍・監門次将。 大尉・少尉 それぞれ従六位下・正七位上に相当。定員はそれぞれ左右各2名だったが、後に増員されていった。唐名は金吾長史・金吾校尉・監門長史。通常大尉には公家が、少尉には武家が任命された。 大志・少志 それぞれ正八位下・従八位上に相当。定員は左右各2名だったが、衛門府の衰微にともない任官者がなくなっていった。 その他に 医師 - 正八位下に相当。 衛士 - 宮城の警備・統括者として番長、当直として吉上が置かれる。 門部、物部、府掌、使部、直丁らがいた。→(番上を参照)
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