被爆当日の5枚の写真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:08 UTC 版)
1枚目 - 御幸橋西詰にて午前11時過ぎに撮影 爆心地より南南東に約2.3km(千田町三丁目 / 現:中区)。宇品警察署管内千田町派出所前に急設された臨時治療所の様子を撮影。建物疎開作業中に被爆した広島女子商業学校・県立第一中学生徒などが避難し、多数が橋の欄干近くにしゃがみ込んでいる(この中に当時広島工専学生であった坪井直(のち被団協代表委員)が含まれていることが後日確認された。他にセーラー服を着た女学生が2018年まで生存したことが判明している。)。凄惨な光景だったため松重は1枚目を撮影するまでかなり躊躇したという。この写真と2枚目の写真については、NHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」(2015年8月6日放送)で詳細に取り上げられ、画像解析により写真に写っている被爆者が閃光熱傷(英語版)(フラッシュバーン)を起こしていたことなどが明らかとなった。 2枚目 - 同上 1枚目よりもかなり被爆者に接近して撮影。この時にはファインダーが「涙にぬれていた」という。 3枚目 - 翠町の自宅兼理髪店の内部を午後2時頃撮影 爆心地から約2.7km。火災は免れたが爆風により店は大破し内部は散乱。奥に松重夫人が立っている。 4枚目 - 翠町の自宅の窓から電車通り向かいを午後2時頃撮影 広電宇品線を挟んで向かいの広島西消防署皆実派出所が倒壊しているのが見える。 5枚目 - 皆実町三丁目交差点付近を午後5時頃撮影 爆心地より南南東に2.4km(現:南区皆実町六丁目)。上記御幸橋の東詰で広電宇品線と皆実線の分岐点(現:皆実町六丁目電停の付近)であり、宇品警察署の巡査が罹災証明書の発行にあたっている。 8月6日当日の地上における写真は、他に被爆直後に爆心地からやや離れた地点(陸軍兵器補給廠、水分峡など)から撮られたキノコ雲や、郊外の安佐郡安古市町(現在の安佐南区)にてトラックに乗せられ避難する被爆者の様子(ただし焦点がぼけている)を撮ったものが確認されているが、爆心地から比較的近い市街地で、生々しい被災の様子を撮った歴史的写真は、この松重のものしか残されていない。現在、御幸橋西詰南側(この付近にかつて千田町派出所が存在した)に松重の被災写真撮影を記念するモニュメントが設置されており、一枚目の写真を引き延ばしたものが使用されている(冒頭の画像参照)。 なお、松重は1990年代に写真の著作権を巡る民事訴訟で訴えられたが、裁判は原告の請求棄却で確定している。
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