自動車産業界
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アルコアでのキャリアが停滞したため、1939年に家族でデトロイトに移り、自動車製造業者組合の地域統括者に就いた。こうしてロムニーは自動車産業に関わるようになった。第二次世界大戦中には自動車の戦時生産を協議する政府の諮問委員会に参画し、1942年に自動車製造者組合の事務総長に就任した。1941年にはデトロイト商工会議所の会頭にも就任していた。第二次世界大戦中には自動車製造会社間での戦時生産の最適化を図る「自動車戦時生産局」の構築に尽力しその指揮をとった。オートモーティブ・コミッティング・フォー・エア・ディフェンスやデトロイト・ビクトリー・カウンシルの設立にも関わった。ウォー・マンパワー・コミッションのデトロイト地区での労務管理委員会の任も務めた。こうしてロムニーは第二次世界大戦の最中に自動車産業界のスポークスマンとなった。戦時生産のやり方や労務や管理などについて連邦議会に呼ばれて語った。 1944年と1947年にはアメリカン・トレード・アソシエーション・エグゼクティブス(現在のアメリカン・ソサエティー・オブ・アソシエーション・エグゼクティブス)役員となった。1946年には全国自動車50周年記念実行委員会の代表を務めた。1946年から1949年には鉄鋼通商産業会議でのアメリカ合衆国代表を務めた。ロムニーはぶっきらぼうで激しい性格の人物で"man in a hurry"(せっかち)だった。そして業界では期待の星だった。 自動車製造業者組合AAMAの会頭時代に、当時社長だったジョージ・メイソンと知り合い、気があった。メイソンが自動車と冷蔵庫などの家庭用器具を製造販売していたナッシュ=ケルビネーター社の会長となった1948年にロムニーは「一から仕事を学ぶように」と請われて、秘書となり取締役に就いた。メイソンの庇護の下で、ロムニーはランブラー車開発という課題をこなすことになった。1953年には副社長に昇進した。メイソンの考え方に従い、ナッシュ=ケルビネーターは1954年5月1日にハドソン・モーター・カーと合併し、アメリカン・モーターズ・コーポレーションとなった。ロムニーは副社長に就いた。1954年10月にメイソンが急性の膵炎と肺炎で急死し、ロムニーはAMC会長兼CEOとなり同社の最盛期を現出した。 ロムニーはGM、フォード、クライスラーのビッグスリーに対抗する唯一の方法は小型車しかないと確信して、AMCの将来を賭けた。主任技術担当のミード・ムーアとともに、売れ行きが鈍っていたナッシュ及びハドソン2ブランドを終了させた。将来を賭けるブランドとしてランブラーが選ばれ、開発と宣伝に力を集中させた。AMCでは「コンパクトカー生産に集中する」という先進的な戦略でこれに臨んだ。この戦略が予想以上の成果を挙げ、経営が軌道にのった。1958年には過去3年間で初めての四半期利益を計上した。1958年は不況の年となり、売上を伸ばしたのはAMCだけだった。これによりAMCの全世界自動車メーカーランクは13位から7位となった。1950年代初頭にハドソンがNASCARレースでそのスピードで活躍したのとは対照的に、ランブラーはモービル主催の東西海岸間を結ぶ高速道路を経済走行するレース(モービルエコノミーランで何度も優勝した。 ロムニーはアメリカ連邦議会でしばしば証言しているが、"協力競合戦略"の信奉者だといっていた。強大な労働組合と強大な企業は2つの悪と見ていると話していた。議会がビッグスリーを分裂させるようにとも呼びかけた。ビッグスリーの自動車メーカーはかつてない大型のモデルを発表していたが、AMCは「ガソリンを大食いする恐竜のハンター戦略を掲げて、CEOのロムニーはその宣伝役として、広告や公的場所での宣伝に努めた。ディズニーランドのテレビ番組でのテレビコマーシャルなども行った。ロムニーは速いペースでことを行う腕まくりをした管理職スタイルで知られていた。管理レベル順に指示をおこなうような組織表どおりの管理は行わなかった。宣伝コピーをロムニー自身が書くことも多かった。ロムニーは「アメリカの自動車産業界の民族の英雄("folk hero of the American auto industry")」となった。メディア志向の事業家のさきがけだった。AMCが小型車を担ぎ、国内の同業者と競業し、さらには海外からの輸出攻勢に対して挑戦していることがタイム誌1959年4月6日の特集記事で記述されている。ランブラーの出始めの年には、AMCは企業乗っ取りのLouis Wolfsonに狙われた。この時、AMC再生が軌道に乗り、株価が一株7ドルから90ドルまで上昇したことで、ロムニーは危機を乗り越えた。UAWの代表ウォルター・ルターとも友好関係を築き、AMCの労働者も当時としては斬新な利益分配制度を享受できるようになった。
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