その他自動車産業界での交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 15:19 UTC 版)
「ヘンリー・リーランド」の記事における「その他自動車産業界での交流」の解説
GMの社長となったアルフレッド・スローンが、ハイアット・ローラー・ベアリングの社長の時代に、リーランドの精密機械についての講習を受ける機会があり、そのときの会話が、大量生産のあるべき姿を導き出すきっかけとなったとスローンがいっている。 電動レジスターを発明したチャールズ・ケタリングがまだNCRにいた1908年、電気式のイグニッション・システムを開発しリーランドに売り込んだ。これにより1909年、同僚のエドワード・A・ディーズとデイトン・エンジニアリング・ラボラトリーズ・カンパニー(デルコ)を創設できた。1910年12月、リーランドの友人であり、カーターカーを経営していたバイロン・カーターがデトロイトの橋を通りかかったとき、婦人がエンストして困っていたのをみて助けようとクランクを回したところ、クランクがバックラッシュで逆回転し腕と顎を負傷し病院に入院したが合併症で肺炎を併発し1908年に死亡した。これを悲しんだリーランドがキャディラック技術員に安全なスターターの開発を指示した。ケタリングは自身の開発した電動レジスター用の高トルクモーターをベースにセルフスターターを開発。さらに、自身のイグニッションとバッテリー、および電気式ヘッドライトを組み合わせていた。スターターは始動後は発電機として機能しバッテリーを充電するというものとなっていた。1912年モデルでキャディラックはこれらの装備を搭載する。それまで使われていたボッシュのマグネトー点火装置は世界初の電気式セルフ・スターターとなり、当初は女性ドライバーのための装備として販売された。ケタリングは、のちGMの研究所を率いるようになる。
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