モルガン商会との企業合同の模索 1908年
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「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「モルガン商会との企業合同の模索 1908年」の解説
ビュイック事業を成功させたデュラントは、自動車産業界での企業トラストを目指して1908年9月16日にゼネラルモーターズ(GM)を創立した。これはデュラントがデュラント=ドート・キャリッジ・カンパニーで成功した後に、数年間を過ごしていたニューヨーク市で目の当たりにした企業トラスト『USスチール』結成の自動車業界版を目論んだものだった。フォードによるT型フォードの発表と並び、このGM設立が、『1908年の自動車業界での2つの出来事』といわれる。しかし、デュラントの企業トラストへの夢は容易に実現したわけではなかった。ゼネラルモーターズ設立年の1908年に、デュラントはさまざまな企業合同を模索し、その流れの先にゼネラルモーターズがあった。 この年、GM創業を前にした1908年5月28日に、デュラントは鉄道員の娘キャサリン(Catherine Lederer)と再婚した。デュラントが47歳、キャサリンは25歳だった。キャサリンは、デュラントの最初の妻との間にもうけた娘マージェリーの友人であった。しかも、娘のマージェリーよりも年下だった。 USスチールで鉄鋼業界の絶対的支配を実現したモルガン商会は自動車産業へ覇権を伸ばそうと1908年に自動車業界の絶対的支配を目指す計画を企てた。当時の自動車製作会社とはその技術が一流であれば、数千ドルの資金で技術者自身が工場を立ち上げ会社を創業できた時代だった。これに「600もの自動車会社がありこれは自動車産業界にとって問題である」とウォールストリート(当時はモルガン商会と同義)が警鐘を鳴らした。「USスチールのような巨大な支配勢力が自動車産業界にできれば、投資家たちの先行きの不安を払拭できる。」 モルガンを中心として、はじめに、フォード、ビュイック、REO(レオ)、マックスウェル=ブリスコーの4社連合が、ついで、ビュイック、マックスウェル=ブリスコーの2社連合が画策されたがいずれも失敗に終わり、最終的に、デュラントは一人で企業連合を立ち上げることになった。
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