犯人と動機
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「ガリッサ大学襲撃事件」の記事における「犯人と動機」の解説
生還した学生は犯人らがスワヒリ語で話していたと述べ、彼らがアルシャバブに関わっていると確言した。後にアルシャバブは事件への関与を主張した。アルシャバブのスポークスマン、シェイク・アリ・モハムド・ラゲは事件の状況について、「我々の兵士が到着したとき、彼らはイスラム教徒を解放した」がキリスト教徒は人質としたと述べた。またラゲは兵士らの「使命はシャバブに反するものを抹殺すること」であり、ケニアの部隊がアフリカ連合ソマリア派遣団に配置されていることに関連して「ケニアはソマリアとの戦争状態にある」とのべた。別のスポークスマンはアルシャバブは「非イスラム教徒によって植民地化されたイスラム教徒の土地に位置する」ため施設を攻撃したと主張した Another spokesman asserted that Al-Shabaab attacked the institution because it was "on Muslim land colonized by non-Muslims".。 1人の襲撃容疑者が占拠中に当該地域を逃げているところを拘束された。占拠が終結した後、更に2人の襲撃容疑者がキャンパスで発見され拘束された。うち1人はタンザニア人で大学とのかかわりはなかった。 ケニア政府はソマリアに出自を持つ市民のモハメド・モハムド(別名シェイク・デュライダイン、ガマデレ、またはモハメド・クノ)を襲撃の黒幕として名指しし、彼の拘束に2000万ケニアシリング(21万5千米ドル)の懸賞金をかけた。1993年から1995年までモハムドはアルハラマイン財団で働き、後にガリッサのマドラサナジャ校で教師を務め校長になった。地元のメディアはモハメドと2014年の別の2つのアルシャバブによるマンデラ地区での攻撃とを結び付けている。 4月4日、アルシャバブはケニア国民に向けた英語の声明を発表した。電子メールで送られたメッセージはケニアの治安組織による、ソマリア民族が居住者の大多数を占める北東州と、ケニア軍がアフリカ連合ソマリア派遣団の一部として配置されている南部ソマリアの両方での「東アフリカのイスラム教徒に対する言葉にできないような残虐行為」を弾劾した。武装組織はガリッサの襲撃犯たちは「ケニアの治安組織の手により殺された何千ものイスラム教徒の死に報い」ようとしたと述べた。アルシャバブは更なる報復の過程で「ケニアの町は血で朱に染まる」と宣言し、「ケニア政府が強迫的行為をやめるまで、また全てのイスラム教徒の土地がケニアの支配から解放されるまで、イスラム教徒の同胞の死に報いるため断固として行動する」と誓った。アルシャバブはまたケニア国民に対し、「ケニア政府を口に出して批判しないことでその強迫的政策を容認」したり、また「選挙によって現政策を強化」したりすれば、職場、住居、学校、大学で彼らを標的にすると警告した。 4月4日、ケニア内務省は襲撃に関わった疑いのある5人の男の身元が判明したと発表した。うち3人は、ソマリアに出自を持つケニア市民であり、事件を計画したと考えられている。彼らはソマリアへ入国しようとしたところを捉えられた。報道によれば彼らの1人モハメド・アブジラヒム・アブデュラヒ(24歳)はマンデラ郡のブラジャムフリの首長アブデュラヒ・ダカレの息子である。そのほかの人物はやはりソマリアに出自を持つケニア市民で大学の警備員を勤めており、施設への侵入に協力したものと思われる。残る一人の容疑者はラシード・チャールズ・ムベレセロというタンザニア人で、襲撃者の中にいた疑いがある。彼は天井に隠れていたところを見つかり、火薬を運んでいたと伝えられている。ケニア警察はアブデュラヒの親しい知人も捜索している。彼はアブデュラヒとともにソマリアで訓練を受け、後にシリアへ渡るためイエメンに赴いた。
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犯人と動機
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「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」の記事における「犯人と動機」の解説
攻撃を実行した人物は、前野光保(当時29歳)といい、子役出身で映画『野良猫ロック』に出演し、また日活ロマンポルノに「前野霜一郎」の芸名で出演していた俳優の男だった。 動機 前野光保は右翼思想の持ち主であり、三島由紀夫にも心酔しており、右翼の運動家であった児玉を、少し前まで、尊敬していた。(前野は、児玉に敵対する左翼思想の持ち主ではなく、むしろその逆、右翼思想の持ち主であった。) ロッキード事件に絡んで児玉が起訴され、マスコミなどの調査・取材によって児玉が行ってきた本当のこと、さまざまな罪状が明らかにされ、児玉という男が前野が思い描くような民族主義的な思想家ではなく、きわめて利己主義的な、いわゆる「利権屋」なのだ、という事実に気付かされた前野は、児玉に騙された、そして深く裏切られたと感じ、怒り、「天誅を下すべきだ」との結論に至り、攻撃に及んだものであった。 前野は調布飛行場から午前8時50分に離陸したが、その前に「映画のため」と言って記念撮影をしており、その際に神風特攻隊の特攻服を身に付けていた。また、離陸時には「七生報国」と書かれた日の丸の鉢巻をしていた。彼は特攻直前最後の無線通信では「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。 前野は事件前に犯行計画を知人に話していたという。また、警視庁は、背後関係はなく前野の単独犯と断定した。
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犯人と動機
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「悪魔の詩訳者殺人事件」の記事における「犯人と動機」の解説
刺殺後、イスラーム新聞サラームは、イスラーム教徒にとって朗報とのコメントを掲載しており、シーア派イスラーム教徒によって殺害されたという見方が一般的となっている。CIAの元職員ケネス・ポラックは、イスラム革命防衛隊の対外工作・テロ活動などを行う特殊部隊「ゴドス軍」による犯行を示唆している。目撃されやすいエレベーターホールで襲撃したのも見せしめのためと判断した。 また、『週刊文春』1998年4月30日号は「『悪魔の詩』五十嵐助教授殺人に『容疑者』浮上」との記事を掲載。同誌が入手した「治安当局が『容疑者』を特定していた極秘報告書」によると、事件当時、東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人学生を容疑者としてマークしていたという。この学生は五十嵐の遺体発見当日の昼過ぎに成田から帰国しているが、イスラーム諸国との関係悪化を恐れる日本政府の意向により、捜査は打ち切られたとしている。 捜査中、学内の五十嵐の机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に書いたメモが発見された。これには壇ノ浦の戦いに関する四行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と書かれていた。このため、五十嵐は自身に身の危険が迫っていた事を察知していたのではないかとする憶測が生まれた。 一方、五十嵐の「『悪魔の詩』は文学的価値が素晴らしいので翻訳する」という説明がイスラーム世界に通用しなかった点、在日パキスタン人協会の長からの死刑宣告を単なる脅しと理解してしまった可能性がある点、警察の保護を断った点など、五十嵐自身の甘さも指摘される。
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