全盛期/アメリカ進出成功(1980年 - 1990年)
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「ジューダス・プリースト」の記事における「全盛期/アメリカ進出成功(1980年 - 1990年)」の解説
1980年、年が明けてすぐに、ニューアルバムのマスター・テープが何者かに盗難される事件が発生する。このマスター・テープはパリで録音され、ニューヨークでミックス・ダウンする矢先の出来事であり、CBSレコード側は犯人の要求を飲んで5万ポンド(10万米ドル)を支払い、テープを取り戻した。しかし、2ヶ所の破損が発覚し、その部分を再レコーディングした。なお、この事件の犯人と動機は不明であるが、マネージメントの内部事情から発生したものではないか、と言われている。何故なら、この事件と前後して同じマネージメントのツーリストのテープが再び盗難にあう事件が起きており、偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎるためである。 3月から全英ツアーがスタート。前座はこの頃デビューして間もないアイアン・メイデンだった。 4月、6thアルバム『ブリティッシュ・スティール』発表。前年からのヘヴィ・メタルムーブメント(NWOBHM)に乗る形で全英チャート3位。バンドの愛称である「メタルゴッド」はこのアルバムに収録されている曲に由来する。「リヴィング・アフター・ミッドナイト」、「ブレイキング・ザ・ロウ」がシングルカットされ、12位まで上昇した。6月からの全米ツアーが開始されると、全米チャートでも34位まで上昇し、バンドは初のゴールドディスクを獲得した。 8月、イギリスのドニントン・パークで行われた第1回モンスターズ・オブ・ロックに出演。ヘッドライナーはリッチー・ブラックモア率いるレインボー。出演中は激しい雨の中で行われたが6万人の大観衆を前に演奏した。ちなみに、この年の1月1日に2015年現在のギタリスト、リッチー・フォークナーがロンドンで誕生。 1981年、サクソンを前座に迎えて欧米ツアーを行った後、7thアルバム『黄金のスペクトル』発表。スペイン沿岸に近いイビザ島でレコーディングされた。この作品はアメリカ向けに、シンプルでキャッチーなメロディ重視の楽曲が多く、アメリカ、ヨーロッパ(イギリス含む)ともに今一つのセールスに終わった。また、本作からPVが3曲制作されたが(後述)、いずれも低予算かつ珍妙な演出がなされている「怪作」で、プロモーション効果は薄かった。夏にはアイアン・メイデンを前座につけてアメリカツアーを行う。この頃からステージ・セットが豪華なものになっており、フロントの4人はワイヤレス・システムを導入したことで、ギターやマイクのコードを気にすることなく、ステージ上を自由に動き回れるようになった。11月からはイギリスツアー、サポートはアクセプト。年の暮れにガル・レコードは新たなベストアルバム『HERO,HERO』を発表している。 1982年7月、8thアルバム『復讐の叫び』を発表。前作に引き続きイビザ島でレコーディングされたが、ミキシングに手間取り、レコーディングから7ヶ月要した。ビデオ・クリップの効果もあって、全米で最高17位まで上昇。ゴールド・ディスクを獲得。8月に全米ツアーを開始すると、ステージセットは更に大きなものとなったため、ツアー各地で話題となりツアーは当初の12月から翌年3月まで延長された。その全米ツアー中に、ザ・フーを手掛けたビル・カービシュリーのマネージメントへ移籍し、アルバムは全米チャートに21週間ランクイン。バンドは初のダブル・プラチナディスクを獲得。バンド最大のヒット作となった。 1983年5月、ロサンゼルス郊外サンバーナディーノで行われた「USフェスティバル」に出演。バンドは2日目に登場し、ヴァン・ヘイレンやオジー・オズボーン、スコーピオンズ、モトリー・クルー、クワイエット・ライオットらと共に出演。この日だけで35万人以上を動員。 6月、再びイビザ島にて新作をレコーディング。ミキシング中にタイトルが決定。 12月、2年ぶりの英国ツアーを開始。ドイツのドルトムントでのテレビ番組「ROCK POP」出演。ヘッドライナーはアイアン・メイデン。 1984年、9thアルバム『背徳の掟』発表。発表後欧州ツアーを開始。ステージセットにはジャケットに描かれたモンスター「メタリアン」が組み込まれるようになった。全米最高18位まで上昇。最終的にプラチナ・ディスクを獲得した。 3月、5ヶ月間に渡る全米ツアーを開始。 9月、三度目の来日。日程は6日:仙台・宮城県スポーツセンター、7日:東京・NHKホール、8日:名古屋・愛知県厚生年金会館、10,11日:大阪・フェスティバルホール、13日:東京・日本武道館。 1982年の全米ツアーのメンフィス・アトランタでの公演を収録した初のライブビデオ「LIVE VENGEANCE82」が発表。 1986年、10thアルバム『ターボ』発表。シンセサイザイズド・ギターを多用した。 1987年、テキサス州ダラス公演を収録した『プリースト…ライヴ!』を発表。 1988年、11thアルバム『ラム・イット・ダウン』発表。前作に欠けていたヘヴィさを取り戻した快作であったが、セールスは欧州、米国ともに伸び悩む。
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