全盛期/アメリカ進出成功とは? わかりやすく解説

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全盛期/アメリカ進出成功(1980年 - 1990年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 10:23 UTC 版)

ジューダス・プリースト」の記事における「全盛期/アメリカ進出成功(1980年 - 1990年)」の解説

1980年、年が明けてすぐに、ニューアルバムのマスター・テープ何者かに盗難される事件発生する。このマスター・テープパリ録音されニューヨークでミックス・ダウンする矢先出来事であり、CBSレコード側は犯人要求飲んで5万ポンド10万米ドル)を支払いテープ取り戻した。しかし、2ヶ所の破損発覚し、その部分を再レコーディングした。なお、この事件の犯人動機不明であるが、マネージメント内部事情から発生したものではないかと言われている。何故なら、この事件前後して同じマネージメントツーリストテープが再び盗難にあう事件起きており、偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎるためである。 3月から全英ツアースタート前座この頃デビューして間もないアイアン・メイデンだった。 4月6thアルバムブリティッシュ・スティール発表前年からのヘヴィ・メタルムーブメント(NWOBHM)に乗る形で全英チャート3位バンド愛称である「メタルゴッド」はこのアルバム収録されている曲に由来する。「リヴィング・アフター・ミッドナイト」、「ブレイキング・ザ・ロウ」がシングルカットされ、12位まで上昇した6月からの全米ツアー開始されると、全米チャートでも34位まで上昇しバンドは初のゴールドディスク獲得した8月イギリスドニントン・パーク行われた第1回モンスターズ・オブ・ロック出演ヘッドライナーリッチー・ブラックモア率いレインボー出演中激しい雨の中で行われたが6万人大観衆を前に演奏したちなみにこの年1月1日2015年現在ギタリストリッチー・フォークナーロンドン誕生1981年サクソン前座迎えて欧米ツアー行った後、7thアルバム黄金のスペクトル発表スペイン沿岸に近いイビザ島レコーディングされた。この作品アメリカ向けに、シンプルキャッチーメロディ重視楽曲多くアメリカ、ヨーロッパ(イギリス含む)ともに今一つセールス終わったまた、本作からPVが3曲制作されたが(後述)、いずれも低予算かつ珍妙な演出なされている「怪作」で、プロモーション効果薄かった。夏にはアイアン・メイデン前座につけてアメリカツアーを行う。この頃からステージ・セットが豪華なものになっており、フロントの4人はワイヤレス・システムを導入したことで、ギターマイクコードを気にすることなくステージ上を自由に動き回れようになった11月からはイギリスツアーサポートアクセプト年の暮れにガル・レコードは新たなベストアルバムHERO,HERO』を発表している。 1982年7月、8thアルバム復讐の叫び』を発表前作引き続きイビザ島レコーディングされたが、ミキシング手間取りレコーディングから7ヶ月要したビデオ・クリップ効果もあって、全米で最高17位まで上昇ゴールド・ディスク獲得8月全米ツアー開始すると、ステージセットは更に大きなものとなったため、ツアー各地話題となりツアー当初12月から翌年3月まで延長された。その全米ツアー中にザ・フー手掛けたビル・カービシュリーのマネージメント移籍しアルバム全米チャート21週間ランクインバンドは初のダブル・プラチナディスクを獲得バンド最大ヒット作となった1983年5月ロサンゼルス郊外サンバーナディーノ行われたUSフェスティバル」に出演バンド2日目登場しヴァン・ヘイレンオジー・オズボーンスコーピオンズモトリー・クルークワイエット・ライオットと共に出演。この日だけで35万人以上を動員6月、再びイビザ島にて新作レコーディングミキシング中にタイトル決定12月2年ぶりの英国ツアー開始ドイツドルトムントでのテレビ番組ROCK POP出演ヘッドライナーアイアン・メイデン1984年9thアルバム背徳の掟発表発表後欧州ツアー開始。ステージセットにはジャケット描かれモンスター「メタリアン」が組み込まれるようになった全米最高18位まで上昇最終的にプラチナ・ディスク獲得した3月、5ヶ月間に渡る全米ツアー開始9月三度目来日日程6日仙台・宮城スポーツセンター7日東京NHKホール8日名古屋愛知県厚生年金会館10,11日大阪・フェスティバルホール13日東京日本武道館1982年全米ツアーのメンフィス・アトランタでの公演収録した初のライブビデオLIVE VENGEANCE82」が発表1986年10thアルバムターボ発表。シンセサイザイズド・ギターを多用した1987年テキサス州ダラス公演収録したプリースト…ライヴ!』を発表1988年、11thアルバムラム・イット・ダウン発表前作欠けていたヘヴィさを取り戻した快作であったが、セールス欧州米国ともに伸び悩む

※この「全盛期/アメリカ進出成功(1980年 - 1990年)」の解説は、「ジューダス・プリースト」の解説の一部です。
「全盛期/アメリカ進出成功(1980年 - 1990年)」を含む「ジューダス・プリースト」の記事については、「ジューダス・プリースト」の概要を参照ください。

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