リッチー・ブラックモア
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リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore, 本名:Richard Hugh Blackmore(リチャード・ヒュー・ブラックモア)[注釈 1]、1945年4月14日 - )は、イングランドのギタリスト。アメリカ合衆国在住。身長179cm。
出典
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- ^ ディープ・パープル 2022年11月29日閲覧
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- ^ リッチー・ブラックモア、ついにレインボー&ディープ・パープル公演、ジョー・リン・ターナー「リッチー・ブラックモアと何かやる」 - Barks
- ^ Ritchie Blackmore Official facebook
- ^ リッチー・ブラックモアのハードロック回帰は限定的、新生レインボーでワールドツアーやアルバムはないと発言 - amass
- ^ リッチー・ブラックモアズ・レインボー、いよいよ再復活 - BARKS
- ^ リッチー・ブラックモア、ロックの殿堂入り欠席を正式に表明 - Barks
- ^ 夢にまで見た、これが新生レインボー - BARKS
- ^ リッチー・ブラックモアズ・レインボー、「Burn」をプレイ - BARKS
- ^ “リッチー・ブラックモアズ・レインボー、上昇し続けるパフォーマンス”. BARKS (2019年6月18日). 2020年6月10日閲覧。
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- ^ シンコー・ミュージック・ムック The Guitar Man : RBギターズ、 P116~P117 参照 ISBN 978-4-401-63258-9
- ^ シンコー・ミュージック・ムック The Guitar Man : RBギターズ、P100, P118~122から引用 ISBN 978-4-401-63258-9
- ^ シンコー・ミュージック・ムック The Guitar Man : RBギターズ、P101、P116参照 ISBN 978-4-401-63258-9
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注釈
- ^ 過去にミドルネームをハロルド(Harold)と表記するメディアがあったが、誤りである。
- ^ 本人は、フレットを押さえる時に小指が使えるのは、その時のレッスンが生きているから、と述べている。
- ^ Popoff著の"The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979)"によると、ブラックモアは1961年5月から1962年4月までの期間、Mike Dee & The Jaywalkersに在籍してプロになった。一方、彼はThe Dominatorsというバンドともステージに立ったという。
- ^ Popoffによると、1962年4月と5月はThe Jaywalkers改めThe Condors、6月から10月12日まではロード・サッチ・アンド・ザ・サヴェイジスで演奏した。
- ^ 『リッチー・ブラックモア:狂気の雷舞』によれば、この経験は、その後のショーマンとしてのリッチー・ブラックモアの形成に大きく貢献している。
- ^ 1962年8月に発表され、イギリスのバンドのレコードとして初めてビルボードの第一位を記録したインストゥルメンタル。
- ^ 「トーネイドース」「トーネイドーズ」「トルネイドス」「トルナドース」とも呼ばれる。
- ^ Popoffによると、ブラックモアはジ・アウトローズに1962年10月から1964年4月まで在籍。ジ・アウトローズは1962年10月26日にビートルズ、1964年3月18日にはローリング・ストーンズの前座を務めた。1964年3月18日はブラックモアの最初の結婚式の日でもあった。
- ^ Popoffによると、その他The Sessions、Ritchie Blackmore Orchestra、The Lancasters、1965年にはNeil Christian and the Crusadersと活動した。
- ^ Popoffによると、1965年2月から5月にかけてスクリーミング・ロード・サッチ・アンド・ザ・サヴェイジスでの活動とジェリー・リー・ルイスの伴奏を行ない、その後1966年にかけて、スリー・マスケティアーズ、Riki Maiocchi、再びNeil Christian and the Crusadersと活動した。
- ^ 1967年のヨーロッパ公演ではロード・カエサル・サッチ&ザ・ローマン・エンパイア(Lord Caeser Sutch & The Roman Empire)と名乗り、ブラックモアを含むメンバー全員がサッチと同様に騎士の格好をしてステージに立った。クリームの前座を務めたこともあった。
- ^ Popoffによると、Neil Christianとも活動した。
- ^ 当時ハンブルグに住んでいたブラックモアはイタリアに向かう船の中でペイスに出会った。ペイスが当時在籍していたザ・メイズは1967年1月からミラノに3か月間滞在して"Chips With Everything"という舞台の音楽を担当していた。後日両者はハンブルグで再会してクラブで一緒に演奏し、ブラックモアはペイスのドラミングを気に入って一緒に活動しようと誘ったが、ペイスはザ・メイズの仕事を優先して断わった。
- ^ 旧メンバーは、ツアー・メンバーとして参加したチャック・バーギ(ドラムス)のみ。
- ^ ハンドヴィブラートはクラプトンから直接習ったが、習得するのに数年かかったと語っている。
- ^ ロジャー・グローヴァーの談話、後にブラックモアも認めた。
- ^ 人気が下降気味だったストラトキャスターの人気を復活させたのはヘンドリックスの功績だと広く語られている。
- ^ ただしブラックモアは、ギターをステージやPAスピーカーの角に擦りつけ振り回す、投げ上げる、踏みつける等のアクションのあと、ネックから破壊するスタイルだった。
- ^ ブラックモアが直接ヘンドリックスと会話を交わしたかどうかは不明。
- ^ 初期は鉄製の太い物へ、中期以降はステンレスへ交換。
- ^ 1975年頃、レインボー時代の電飾『虹』に起因するノイズ対策の為、ジョン・ドーク・スティルウェルがPUコイルのリワイア、ワックス含浸とピックガード裏全体に銅版シールドの改造を行った。Dawk Sound Limited
- ^ 年式は特に拘っていないが、70年代前半は特に1969年製の貼りメイプル/BLK 「初来日前に行われた全米ツアー中に誤って破壊してしまった」、1971年製のワンピース・メイプル/SB「後にヘッドストックの下が割れてしまった状態で使用し続けたのは有名」、1972年製のナチュラル/メイプル機を愛用し、70年代中期以降は1974年製のホワイト/ローズ、1976年製のホワイト/ローズを中心に愛用。
- ^ アルバム『ディープ・パープル・イン・ロック』(1970年)、『ファイアボール』(1971年)で、そのサウンドが聴ける。
- ^ 本人は野球が嫌いなので「五角形」と呼んでいる。
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