ディオ (バンド)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/20 17:25 UTC 版)
ディオ Dio |
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基本情報 | |
出身地 | ![]() ニューヨーク州コートランド |
ジャンル | ヘヴィメタル |
活動期間 | 1982年 – 2010年 |
レーベル | ワーナー・ブラザース・レコード ヴァーティゴ マーキュリー・レコード リプリーズ・レコード Mayhem Records SPV/Steamhammer Spitfire Records サンクチュアリ・レコード |
公式サイト | ronniejamesdio.com |
メンバー | ロニー・ジェイムス・ディオ (Vo) クレイグ・ゴールディ (G) ルディ・サーゾ (B)) サイモン・ライト (Ds) スコット・ウォーレン (Key) |
旧メンバー | ヴィヴィアン・キャンベル (G) ジミー・ベイン (B) ヴィニー・アピス (Ds) ほか 別記参照 |
ディオ (Dio) は、アメリカ合衆国出身のヘヴィメタル・バンド。
HR/HMバンド「レインボー」や「ブラック・サバス」の元ヴォーカリストでもあった、ロニー・ジェイムス・ディオが主宰するグループ。1980年代の英米メタルムーブメントから活動する存在であったが、2010年、ロニーの死去により消滅した。
歴史

1982年10月に「ブラック・サバス」を脱退したロニー・ジェイムス・ディオは、共に脱退したドラムのヴィニー・アピスを帯同し、かつてレインボーで行動を共にしたベーシストのジミー・ベイン、元ラットのギタリスト、ジェイク・E・リーを得たロニーは自ら率いるバンド「ディオ」を結成。しかし、ジェイクはロニーとの音楽性の違いから1ヶ月でバンドを脱退し、後任に元スウィート・サベージのヴィヴィアン・キャンベルが加入。このメンバーで翌年、イギリスで行われたレディング・フェスティバルに出演すると共にアルバム『情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー』でデビューした。この時期にキーボーディストのクロード・シェネルも加入し、5人編成で活動を始める。
1986年、ヴィヴィアンが脱退し、後任にクレイグ・コールディが加入。翌年『ドリーム・イーヴル』をリリース。
1989年、ジミーとヴィニーが脱退し、クレイグも脱退。後任にローワン・ロバートソン、テディ・クック、サイモン・ライトが加入。翌年『ロック・アップ・ザ・ウルブス』をリリース。イェンス・ヨハンソンもレコーディングに参加(但し、何故か『ロック・アップ・ザ・ウルブス』作中でキーボードの音はほぼ聞こえない音造りがなされている。)
1991年、ロニーのブラック・サバス復帰に伴い活動休止したが、1993年にブラック・サバスを再離脱してロニー、ヴィニー、トレイシー・G、ジェフ・ピルソン、スコット・ウォーレンのラインナップで活動を再開したものの、発表した2作のアルバムが所謂モダン・ヘヴィネスに激しく傾倒した内容で、欧州、日本では著しい人気低下に繋がり、欧州、日本のファンを切り捨ててまで音楽性を当時の米国向けに豹変させるも、宛にした米国でもセールスは期待ほど伸びなかった。その後クレイグが復帰。但しロニーは当初トレイシーを残留させ、メロディアス要素を取り戻しつつ、モダン・ヘヴィネス要素も残す目論見だったが、クレイグとトレイシーの不仲もあり、追放されるようにトレイシーが脱退、そしてモダン・ヘヴィネス路線も無かったことのように一掃された。
バンドの音楽性はディオが「レインボー」や「ブラック・サバス」などで培ってきた幻想的な詞の世界とヘヴィメタル様式を巧みに組み合わせたもので、世界中で人気を博した。が、自身がかつて在籍したレインボーのように、メンバーチェンジが非常に多く(ロニーの夫人が実質上のマネジメントを掌握しており、メンバーに支払う賃金を厳しく制限していたのも一因。クレイグの一度目の脱退の原因も賃金がほぼ未払状態になっていたことであり、後任のローワンはディオ夫妻の養子に近い立場で、ほぼ無償でメンバーになっていた。ヴィヴィアンもディオ時代は生活苦に陥るほど報酬が少なかったと、脱退後に述懐している。)、音楽性も変遷を続けた。特にブラック・サバス再脱退後の『ストレンジ・ハイウェイズ』、『アングリー・マシーンズ』はギタリストに、モダン・ヘヴィネス的な音楽性に長けているトレイシー・Gを起用したことにより、バンドの本来の持ち味の幻想的な世界観、レインボー及びブラック・サバス譲りのメロディアスさがほぼ無くなり、多くのファンを失望させ、非難を受けた。しかしクレイグ・ゴールディが復帰した次作『マジカ』で本来の持ち味を取り戻す。
2006年にロニーは、ブラック・サバスのアルバム『悪魔の掟』制作時のラインナップで「ヘヴン・アンド・ヘル」名義の活動を開始したが[1]、Dioとしての活動も並行して行い、同年10月には「LOUD PARK 2006」にコ・ヘッドライナーとして出演した。
2008年には5月27日から6月21日まで、ヨーロッパ、北欧に地域を限定したミニツアーを行った。その後ロニーがヘヴン・アンド・ヘルに専念するため活動休止した。
2010年5月16日、ロニーが胃癌で逝去[2]。バンドはそのまま活動再開することなく、実質上解散した。
ロニーの死後、残されたメンバーは2011年から「ディオ・ディサプルズ (Dio Disciples)」として活動を開始。翌年にはヴィヴィアン・キャンベル、ジミー・ベイン、ヴィニー・アピスの創設メンバーを中心としたバンド「ラスト・イン・ライン (Last In Line)」も活動を始めた[3]。
2016年、ドイツのHR/HMフェス『ヴァッケン・オープン・エア』にてロニーのホログラムが公開され、翌2017年からディオ・ディサプルズのバンド帯同による世界ツアーを開始した[4]。
メンバー
最終ラインナップ
- ロニー・ジェイムス・ディオ Ronnie James Dio - ボーカル (1982年–2010年)
- クレイグ・ゴールディ Craig Goldy - ギター (1986年–1989年、1999年–2001年、2004年–2005年、2006年–2010年)
- ルディ・サーゾ Rudy Sarzo - ベース (2005年–2010年)
- サイモン・ライト Simon Wright - ドラムス (1989年–1991年、1998年–2010年)
- スコット・ウォーレン Scott Warren - キーボード (1993年–2010年)
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ロニー・ジェイムス・ディオ(Vo) 2007年
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クレイグ・ゴールディ(G) 2012年
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ルディ・サーゾ(B) 2009年
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サイモン・ライト(Ds) 2006年
-
スコット・ウォーレン(Key) 2012年
旧メンバー
ギター
- ジェイク・E・リー Jake E. Lee(1982年)
- 加入前はラットで活動していた。脱退後はオジー・オズボーンのバンドに加入
- ヴィヴィアン・キャンベル Vivian Campbell(1982年–1986年)
- ローワン・ロバートソン Rowan Robertson(1989年–1991年)
- トレイシー・G Tracy Grijalva(1993年–1999年)
- ダグ・アルドリッチ Doug Aldrich(2001年–2004年、2005年–2006年)
- クレイグが家族の事情で離脱していた期間に参加していたが、ホワイトスネイクへの加入に伴い脱退。
ベース
- ジミー・ベイン Jimmy Bain(1982年–1989年、1999年–2004年)
- ディオ加入以前はレインボーのメンバーとしていた。2004年の脱退後はソロ活動やラスト・イン・ラインのメンバーとして活動していたが、2016年1月に逝去した。
- テディ・クック Teddy Cook(1989年–1991年)
- ジェフ・ピルソン Jeff Pilson(1993年–1997年、2004年–2005年)
- ラリー・デニンソン Larry "Bones" Dennison(1997年–1999年)
ドラムス
- ヴィニー・アピス Vinny Appice(1982年–1989年、1993年–1998年)
- 加入前及び一回目の脱退後はブラック・サバス、二回目の脱退後はヘヴン・アンド・ヘルやラスト・イン・ラインのメンバーとして活動。
キーボード
- クロード・シェネル Claude Schnell(1983年–1989年)
- イェンス・ヨハンソン Jens Johansson(1989年–1991年)
- 現在はストラトヴァリウスやレインボーのメンバーとして活動している。
ボーカル | ギター | ベース | ドラムス | キーボード | |
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1982年-1983年 | ロニー・ジェイムス・ディオ | ヴィヴィアン・キャンベル | ジミー・ベイン | ヴィニー・アピス | (不在) |
1983年-1985年 | クロード・シュネル | ||||
1986年-1989年 | クレイグ・ゴールディ | ||||
1990年 | ローワン・ロバートソン | テディ・クック | サイモン・ライト | イェンス・ヨハンソン | |
1993年-1997年 | トレイシー・G | ジェフ・ピルソン | ヴィニー・アピス | スコット・ウォーレン | |
1997年-1999年 | ラリー・デニンソン | ||||
1999年-2001年 | クレイグ・ゴールディ | ジミー・ベイン | サイモン・ライト | ||
2001年-2004年 | ダグ・アルドリッチ | ||||
2004年-2005年 | クレイグ・ゴールディ | ジェフ・ピルソン | |||
2005年-2006年 | ダグ・アルドリッチ | ルディ・サーゾ | |||
2006年-2010年 | クレイグ・ゴールディ |
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー』 - Holy Diver (1983年)
- 『ラスト・イン・ライン』 - The Last In Line (1984年)
- 『セイクレッド・ハート』 - Sacred Heart (1985年)
- 『ドリーム・イーヴル』 - Dream Evil (1987年)
- 『ロック・アップ・ザ・ウルブス』 - Lock Up The Wolves (1990年)
- 『ストレンジ・ハイウェイズ』 - Strange Highways (1994年)
- 『アングリー・マシーンズ』 - Angry Machines (1996年)
- 『マジカ』 - Magica (2000年)
- 『キリング・ザ・ドラゴン』 - Killing The Dragon (2002年)
- 『マスター・オブ・ザ・ムーン』 - Master Of The Moon (2004年)
来日公演
単独公演
- Sacred Heart Tour(1986年)〈Craig Goldy〉
- Angry Machines Tour(1997年)〈Tracy G〉
- Magica Tour(2000年)〈Craig Goldy〉
- 6月22日 大阪 BIGCAT
- 6月23日 名古屋 名古屋クラブクアトロ
- 6月26日 東京 LIQUIDROOM
- Master of the Moon Tour(2005年)〈Doug Aldrich〉
フェス
- SUPER ROCK '85 IN JAPAN(1985年)〈Vivian Campbell〉
- 8月10日 東京 東京湾お台場運動広場
- JAPAN AID 2nd(1987年)〈Craig Goldy〉
- 10月4日 昭島 国営昭和記念公園
- LOUD PARK 06(2006年)〈Craig Goldy〉
- 10月14日 埼玉 さいたまスーパーアリーナ
- 10月15日 千葉 幕張メッセ 国際展示場 展示ホール9-10-11
- 10月16日 大阪 Zepp大阪
脚注
- ^ “HEAVEN AND HELL ライブレポート!”. 激ロック (2007年). 2017年12月23日閲覧。
- ^ “ロニー・ジェイムズ・ディオ、死去”. BARKS (2010年5月18日). 2017年12月23日閲覧。
- ^ “ヴィヴィアン・キャンベル「ディオのホログラム、ウィンウィンになるかも」”. BARKS (2010年9月13日). 2017年12月23日閲覧。
- ^ “ロニー・ジェイムス・ディオ、“ディオ復活”ツアー開催。日本公演も”. BARKS (2010年7月27日). 2017年12月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
「ディオ (バンド)」の例文・使い方・用例・文例
- 一そろいのオーディオ機器
- デジタルオーディオプレーヤー専用接続端子をフロントパネルに装備している
- 会場には既に多くのオーディオファンが詰め掛けている
- ジャックはそのバンドのアコーディオン奏者だ。
- ディオニュソスの仮面
- 彼は古いアコーディオンで音楽を演奏した。
- 彼女はオーディオグラムを用いて発表を行った。
- 父は私にその文学作品のオーディオ・ブックを与えた。
- 我々はオーディオメーターと呼ばれるこの聴力測定装置を使う。
- アコーディオンとピアノしか持っていません。
- 私が通販で買う商品は、家電やオーディオなどです。
- 私が通販で買う商品は、家電やオーディオ機器などです。
- 先生はこれらのイディオムを暗記しろ、と言った。
- 英語はイディオム表現に富んだ言語である。
- 英語はイディオムが豊富である。
- パラディオ式窓.
- ラフカディオ・ハーンは日本に永住する決意をした.
- 己の欲するところ人にもこれを施せ【イディオム・格言的】
- 病を知るは治るに近し【イディオム・格言的】
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