ジミ・ヘンドリックスからの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:07 UTC 版)
「リッチー・ブラックモア」の記事における「ジミ・ヘンドリックスからの影響」の解説
リッチーは、ジミ・ヘンドリックスの影響を強く受けていることを公言しており、自身のバンドであるブラックモアズ・ナイトでヘンドリックスを偲ぶ楽曲も発表している。 ブラックモアが在籍していたディープ・パープルは、デビュー・アルバムでヘンドリックスの演奏(カバー)で有名な「Hey Joe」をカバーしている。 また、ディープ・パープルの「スピード・キング」は、ヘンドリックスの「Fire」がヒントになったという(バンドメンバーのロジャー・グローヴァーの談話、後にブラックモア本人もコメントしている)。 ブラックモアは1969年製ブラックストラトキャスターを入手して1972年中期までトレードマークとし、他にテレキャスターネックを装着したホワイト・ストラトキャスターや、時折ステージで左利き用ストラトキャスターを使用するなど、ヘンドリックスへの強い傾倒振りを示していた。ギター破壊などのパフォーマンスもヘンドリックスからの影響だと見る論評も多い。 1968年にクリームの解散コンサートの前座を務めた際に、コンサートを見にきたヘンドリックスからパーティに招待されている(ブラックモア本人が直接ヘンドリックスと会ったり話をしたかは不明)。ディープ・パープルの初代ベーシストだったニック・シンパーは、ヘンドリックスに会った際「TVで見たけどお前のバンドにいる黒装束のギタリスト(ブラックモア)は凄いな」と言われたという。 ブラックモアが率いていたレインボーのアルバム『STRAIGHT BETWEEN THE EYES(邦題=闇からの一撃)』(1982年)のタイトルは、ジェフ・ベックがブラックモアに語った「ジミの演奏は視覚へストレートに飛び込んでくる」という言葉が元になっている。
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