ディープ・パープル時代(1967年 - 1975年、1984年 - 1993年)
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「リッチー・ブラックモア」の記事における「ディープ・パープル時代(1967年 - 1975年、1984年 - 1993年)」の解説
1967年、当時サーチャーズでドラムスとボーカルを担当していたクリス・カーティス (Chris Curtis) が発起人となり、新しいバンドを結成するためのメンバーを探し始めた。最初に候補に挙がったのがブラックモアとフラワー・ポットメン (The Flower Pot Men) のバック演奏を務めていたキーボード・プレイヤーのジョン・ロードである。様々な事情から計画は一度中断したが、その後、ボビー・クラーク(ドラマー)、デイヴ・カーティス(ベーシスト)を加えて「ラウンドアバウト」というバンド名で結成した。 しかしやがてクリス・カーティスが辞め、ボーカルにロッド・エヴァンスが加入、さらに、その時に付いて来たイアン・ペイスがボビー・クラークを押しのけてドラマーとして加入した。こうして体制が整った時点でバンド名を「ディープ・パープル」に改め、アメリカの新興レコード会社、テトラグラマトン・レコード (Tetragrammaton Records) よりデビューを飾る(以降のバンド自体の概要/活動歴は「ディープ・パープル」を参照)。 ブラックモア自身は、オリジナル第一期~第三期に在籍。1975年6月に脱退し、ソロ活動から発展したバンドを結成する(後述)。 1984年、ディープ・パープルの再結成を主導。しかし他のメンバーとの音楽的相違などから1993年に再度脱退。契約レーベル側には、ソロ形態のアルバムを出す条件で脱退を認めさせ、結果リッチー・ブラックモアズ・レインボーの再始動に向かった(後述)。
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