初期と商業的成功(1978年 - 1982年)
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初期のメンバーは前出のミッキー・ムーディに、元ストリート・ウォーカーズのデイヴ・ドウルとブライアン・ジョンストン、バーニー・マースデン、ニール・マーレイ。さらにジョンストンがピート・ソリーに代わりグループがスタートする。 1978年、グループのお披露目となるEPアルバム『スネイクバイト』からDavid Coverdale's Whitesnake名義のバンド活動がスタートし、同年初のフルアルバム『トラブル』(このアルバムからDavid Coverdale'sが取れ、シンプルにWhitesnakeとなる )からジョン・ロードが参加、後にはやはり元ディープ・パープルのドラマーイアン・ペイスも合流する。 元ディープ・パープルのメンバーが三人も集まっていたが、ホワイトスネイクの音楽性はデイヴィッド・カヴァデール自身が傾倒するブルースとハードロックを基本としていた。UKチャートでトップ20に上ったシングル「フール・フォー・ユア・ラヴィング」(1980年)、「ドント・ブレイク・マイ・ハート・アゲイン」(1981年)などのスマッシュ・ヒット曲も出て、英国、欧州そして日本では根強い人気を誇った。1981年の来日公演も成功した。 だが、ディープ・パープル時代からの恩人でもあるロードとペイスも、カヴァデール主導で動くホワイトスネイクでは待遇が悪いことに不満を感じており、ペイスはゲイリー・ムーアからの誘いなどを理由に脱退していった。 分解してしまったホワイトスネイクは、これを機会にメンバーをリセットし、新バンドとして再構築を図ることとなった。1982年になってデイヴィッド・カヴァデールの娘の病気を理由に、グループは一時活動休止するとマネージメントが発表した。
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