音楽性の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 17:35 UTC 版)
「レインボー (バンド)」の記事における「音楽性の変遷」の解説
1st.『銀嶺の覇者』 - RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOW 実質、リッチー・ブラックモアがエルフというバンドをスタジオ・ミュージシャンとして使って制作したソロ・アルバム。リッチーは全ての曲を作っただけでなく、全てのパートをそれぞれのメンバーに教えその通りに演奏することを要求したとされる。実力と音楽志向の面でリッチーが求めていたのはボーカリストのロニー・ジェイムズ・ディオだけであり、他の3人はアルバムの完成直後に実質的に解雇されている。 当時のリッチーがやりたかった音楽を具現化したアルバムで、ディープ・パープル時代のファンを喜ばせる「マン・オン・ザ・シルバー・マウンテン」が人気曲となっている。他にはクラシカルな楽曲「Catch The Rainbow」や「The Temple Of The King」が収録されている。 2nd.『虹を翔る覇者』 - RAINBOW RISING ロック・シーンで高い評価を得ていたドラマーのコージー・パウエルが加入。リッチー、ロニーに匹敵する腕利きのパウエルが入ったことで、いわゆる「三頭」時代が始まる。ハードロック史上に残る傑作となり、レインボーの人気を確立させた。「Stargazer」と「A Light In The Black」が当時のレコードの裏面を2曲で占める大作(内容的には組曲である)であり、それに代表される長い演奏時間、音楽嗜好を「クラシカルなメロディとヘヴィなサウンドからなる様式美的ハードロック」に先鋭化した作品作りが特徴であり、ラジオの音楽番組で放送される事を前提にしていないことが伺われる。 3rd.『バビロンの城門』 - LONG LIVE ROCK'N'ROLL 基本的な路線には変化が無いが、それまでの大作主義が姿を消しシンプルなハードロックへのシフトが意識されている。明らかにアメリカ市場でのブレイクを狙い、ラジオ放送を意識したアルバムとなっている。 スピーディなアルペジオが連続する「Kill The King」は、レインボーの全楽曲の中でも重要な曲である。他にも、後にグラハム・ボネットとジョー・リン・ターナーにも歌い継がれる「Long Live Rock'n'Roll」や前作を踏襲した大作「Gates of Babylon」などが収録されている。 4th.『ダウン・トゥ・アース』 - DOWN TO EARTH バンドの音楽性に明確な変化が起こった。アメリカ市場での売上低迷状況を解決するためにポップさを前面に押し出し、ストレートで現代的なハードロック路線に大きく舵を切った。作曲とプロデュースにディープ・パープルでブラックモアと一緒だったロジャー・グローヴァーを起用(後にベース・ギターも任せることになる)、ボーカルをストレートでハイテンションな声質のグラハム・ボネットに交代し音楽性を一新した。特にラス・バラード(Russ Ballard)のカバーであるシングル「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」を巡ってはメンバー間でも収録の可否を巡って激論があった。 5th.『アイ・サレンダー』-DIFFICULT TO CURE 6th.『闇からの一撃』-STRAIGHT BETWEEN THE EYES 7th.『ストリート・オブ・ドリームス』-BENT OUT OF SHAPE さらにボーカリストがジョー・リン・ターナーに変わったことでアメリカ市場向け路線が一層明確になった。なお、ターナーは大学で文学を学んだインテリジェンスの高い人物で、格調の高さと分かり易さが込められている歌詞はバンドのポップ化に貢献し、アメリカでのラジオ・オン・エア回数が以前より多くなった。1984年には「Maybe Next Time」がグラミー賞ベスト・インストゥルメンタル部門にノミネートされた。 レインボーで最大の魅力とされるリッチーのギタープレイはアルバムを追って控えめになり、かつてアマチュア・ギタリストを虜にしたような速弾きや特徴的なクラシカルなリフなどはあまり聴かれなくなっていく。「Death Alley Driver」のように往年の「Highway Star」にも負けないハイスピード・プレイもあれば、「Maybe Next Time」のようなギター・インストゥルメンタルもあるが、シングル・ヒットに結びついた「I Surrender」や「Street Of Dreams」などの楽曲においては、ギター・サウンド、ギター・ソロはあまり前面に出ていない。(ただし、ライヴにおいてはその限りではない) この後レインボーは活動を一旦休止することになるが、偶然ながらここまでに制作したスタジオアルバムの数はそのバンド名の通り7作であった。 1995年 『孤高のストレンジャー』-STRANGER IN US ALL ブラックモアはソロ・アルバムのつもりであったが、市場に出すに当たって「Ritchie Blackmore's Rainbow」名義を冠せられた。ドゥギー・ホワイトが器用に声色を使い分けて歌っていることもあり、荒削りなギター・プレイ、ギターの音色、練り込まれたアレンジ等において、ブラックモアのロック経歴の集大成的な楽曲が並ぶアルバムになっている。プロデュースはパット・リーガンとリッチー・ブラックモア。 音楽雑誌「BURRN!」の読者人気投票で、1995年度のベスト・グループとベスト・アルバムに選ばれている。
※この「音楽性の変遷」の解説は、「レインボー (バンド)」の解説の一部です。
「音楽性の変遷」を含む「レインボー (バンド)」の記事については、「レインボー (バンド)」の概要を参照ください。
- 音楽性の変遷のページへのリンク