リッチー・パウエル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 15:23 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動リッチー・パウエル(Richie Powell、1931年9月5日 - 1956年6月26日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク生まれのジャズ・ピアニスト[1]。
人物
本名はリチャード・パウエル(Richard Powell)。著名なジャズ・ピアニストであるバド・パウエルの弟。クリフォード・ブラウンとマックス・ローチが共同で率いていたグループのメンバーとして知られる[1]。
来歴
1949年から1951年までニューヨークやフィラデルフィアで演奏し、1951年から1952年までポール・ウィリアムズの、1952年から1954年までジョニー・ホッジスの許で活動した。その後はクリフォード・ブラウンとマックス・ローチとが率いるクィンテットの一員となっている。リッチー・パウエルの名声は、わけても編曲に負っている。ブラウンとローチとの録音(『アローン・トゥゲザー』や実況録音盤『Brownie Lives!』)に参加したほか、さらにソニー・ロリンズ(『ソニー・ロリンズ・プラス・フォー』)やダイナ・ワシントン(『ダイナ・ワシントン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』)ともレコードを作っている。
突然の死
リッチーとブラウンは、シカゴにおける契約のために、夜更けにリッチーの妻ナンシーの運転する自動車に乗っていた。暗い雨の夜道(高速道路ペンシルベニア・ターンパイク)を抜ける最中に、ナンシー夫人は運転を誤り、3人とも事故死した。リッチーは、24歳で帰らぬ人となった[1]。
脚注
参考文献
- Richard Cook & Brian Morton: The Penguin Guide to Jazz on CD, 6th Edition, London, Penguin, 2002 ISBN 0-14-017949-6.
- Bielefelder Katalog 1988 & 2002
- Carlo Bohländer, etc: Reclams Jazzführer. Stuttgart, Reclam, 1991
外部リンク
固有名詞の分類
- リッチー・パウエルのページへのリンク