ジーン・ヴィンセントとは? わかりやすく解説

ジーン・ヴィンセント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 14:20 UTC 版)

Gene Vincent (1957)
ジーン・ヴィンセント
基本情報
出生名 ヴィンセント・ユージン・クラドック
Vincent Eugene Craddock
生誕 1935年2月11日
出身地 アメリカ合衆国
バージニア州ノーフォーク
死没 (1971-10-12) 1971年10月12日(36歳没)
アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ロックンロール
ロカビリー
職業 歌手
ミュージシャン
担当楽器 ボーカル
ギター

ジーン・ヴィンセント (Gene Vincent1935年2月11日 - 1971年10月12日)は、アメリカ合衆国の1950年代のロカビリーミュージックのミュージシャンシンガーであり ジーン・ヴィンセント & ヒズ・ブルー・キャップス のヴォーカリストである。1956年に「ビー・バップ・ア・ルーラ」をヒットさせたことで知られる。そしてブルー・キャップスのギタリスト、クリフ・ギャラップのギター奏法のギャロッピングは今もなおその名を残している。またビートルズ等、後のロックンロールシーンにおいて彼等の与えた影響は大きい。

ジーン・ヴィンセント & ヒズ・ブルー・キャップス

オリジナル・メンバー( - 1956)
  • ジーン・ヴィンセント (Gene Vincent) (Vo,Gu)
  • クリフ・ギャラップ (Cliff Gallup) (Gu)
ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第79位、2011年の改訂版では削除された。
  • ウィリー・ウイリアムス (Willie Williams) (Gu)
  • ジャック・ニール (Jack Neal) (Ba)
  • ディッキー・ハレル (Dickie Harrell) (Dr)

略歴

1935年2月11日、アメリカ合衆国バージニア州ノーフォーク生まれ[1]。本名ヴィンセント・ユージン・クラドック(Vincent Eugene Craddock)。生家はとても貧しく、大変苦労して育った。1947年、教会の賛美歌を聞き音楽(歌)に興味を持つ。1950年、サウス・ノーフォーク・ハイスクールへ進学。その頃からカントリーブルースに興味を持ち始める。1952年、中退、アメリカ海兵隊へ。1955年7月、入隊中にオートバイ事故を起こし左足に大怪我を負うが、本人は左足の切断を拒否し[2]、生涯にわたり足に障害を持つ事となる[1]。除隊後ノーフォークのローカルラジオ局と契約。

1956年、ノースカロライナ州のラジオ局、WCMS(現WCMS-FM)のディスクジョッキー、ビル・(シェリフ・テックス)・デイビスに誘われカントリー・ショウに出演。これが良い評価を受ける。これを機にビルがマネージャーになり、地元のミュージシャンを集めバックバンドのブルー・キャップス(Blue Caps)を結成。カリフォルニア州ロサンゼルスキャピトル・レコードへデモ・テープを送るが審査は難航。キャピトル幹部の反対多数の中、ジーンのヴォーカルに陶酔した一幹部のケン・ネルソンの強引な一押しで契約する事となる。

同年、デビュー・シングル"Woman Love"を発表するが、当初はB面曲だった"Be-Bop-A-Lula"がヒットして[3]、全米ポップ・チャートで7位を記録した[4]。他、映画『女はそれを我慢できない』、"Hot Rod Gang"に出演。シングル"Race With The Davil"(96位[4])、"Bluejean Bop"(34位[4])、 1957年、"Lotta Lovin'"/"Wear My Ring"(13位[4])、"Dance To The Bop"(23位[4])と発表するが、ロックンロールに飽き始めていたアメリカ合衆国ではその後ヒットしなかった。

アメリカ合衆国での活動に見切りをつけたジーンは、エディ・コクランバディ・ホリー等と同様、拠点をヨーロッパに移し各国を周りかなり良い成果を得た。中でもイギリスではロックンロールが全盛期で特に人気があり、当時若年だったジョン・レノンポール・マッカートニー等も度々ショウを観に行っていた。ジョンとポールは後年、それぞれのソロ・アルバム(『ロックン・ロール』、『公式海賊盤』)でジーンの"Be Bop A-Lula"をカバーしている。1960年4月16日、イギリスツアー中だったコクランらと共に乗ったタクシーが街路樹に衝突し、ヴィンセントらは助かったものの、コクランは重傷を負い翌日死亡した。

その後は若い頃にその影響を受けたビートルズローリング・ストーンズ等の新しい時代のロックンロールが席巻すると共にいわゆるロカビリーと云われる古いスタイルのロックンロールは影を潜めていった。

1971年10月12日、キャピトルのあるロサンゼルスのインターバリー・コミュニティー・ホスピタルで、胃潰瘍のため息を引取る。享年36歳。ロサンゼルスのEternal Valley Memorial Park に埋葬された。

1998年ロックの殿堂入り[5]

ディスコグラフィ

キャピトル正規アルバム

  • BLUE JEAN BOP! (1956)
  • Gene Vincent and the Blue Caps (1957)
  • GENE VINCENT ROCKS! AND THE BLUE CAPS ROLL (1958)
  • a gene vincent record date (1959)
  • SOUNDS LIKE GENE VINCENT (1959)
  • TWIST CRAZY TIMES! GENE VINCENT (1960)
  • the crazy beat of GENE VINCENT (1961)

脚注

外部リンク


ジーン・ヴィンセント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/20 14:25 UTC 版)

エディ・コクラン」の記事における「ジーン・ヴィンセント」の解説

1958年5月ジーンアルバム制作バックコーラス(ベース)として参加、計8曲録音。「エディ優れたミュージシャンアレンジャーその時セッションでも多くアイディア提供した。」(ブルーキャップスのメンバー、トミー・ファセンダ)「キャピトルスタジオ内に設置され防音壁出来た小さな家のようなブース皆で一緒に歌った。」(同メンバー、ポール・ピーク)

※この「ジーン・ヴィンセント」の解説は、「エディ・コクラン」の解説の一部です。
「ジーン・ヴィンセント」を含む「エディ・コクラン」の記事については、「エディ・コクラン」の概要を参照ください。

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