全盛期から廃止へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 07:43 UTC 版)
おとぎ列車は人気を集め、行楽シーズンの休日には乗り場に乗車を待つ観光客の列ができるほどであった。ただ、当初は宇治方面からおとぎ電車乗り場までは十分な交通手段がなかった。そこで1953年(昭和28年)4月、京阪は平等院近くの塔の島から電車乗り場までの間にプロペラ船を就航させた。しかし、同年8月14日から15日にかけての南山城水害で宇治川の河床や流路が変わり、プロペラ船は運行できなくなってしまう。追い打ちをかけるように9月25日に台風13号の豪雨でおとぎ電車自体が線路の冠水や車両の流失を含む大きな被害を受け、運行停止状態となった。 地元からは京阪に対しておとぎ電車とプロペラ船の復活を求める要望が強く出され2000万円をかけて修復、翌1954年(昭和29年)4月1日・おとぎ電車の運行再開にこぎつける。このとき新調された客車はタルゴ式を取り入れた6車体連接式のもの(通称「むかで号」1954年3月30日竣工)であった。しかしプロペラ船は復活しなかった。プロペラ船が失われた後もおとぎ電車の人気は衰えず、1958年の京都新聞には行楽シーズンの盛期には1日28往復で最高6000人の乗客があり、年間で16万人の利用客があったと記されている。 一方、台風被害によって、防災の観点から大峯ダムに代わる新たな多目的ダム(天ヶ瀬ダム)を建設する計画が浮上する。これによりおとぎ電車の線路はほぼ水没することになり、1960年(昭和35年)5月31日を最後に、10年間の運行の幕を閉じた。運行停止に伴う京阪に対する補償交渉は同年11月に妥結している。
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