全盛期/1975-1977年とは? わかりやすく解説

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全盛期/1975-1977年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:29 UTC 版)

フリートウッド・マック」の記事における「全盛期/1975-1977年」の解説

ウェルチ代わるフロントマン探していたミック・フリートウッドジョン・マクヴィーは、バンド新作レコーディング・エンジニアオーディション通じて「バッキンガム・ニックス(英語: Buckingham Nicks)」というアメリカ人男女デュオ作品を耳にした。リンジー・バッキンガムギターヴォーカル強い関心持ったミックは、1974年12月リンジー電話連絡取りバンド誘ったリンジーは、バンド合流するにあたりガール・フレンドでありデュオパートナーでもあるスティーヴィー・ニックス同行することを提案し結局グループは、この二人セット新メンバーとして迎え入れることになった男女のポップ・ロック・グループとなったマックは、1975年10thアルバムファンタスティック・マック』を発表、「セイ・ユー・ラヴ・ミー」、「リアノン」といったヒット曲生まれアルバム全米1位を獲得それまでにない成功を収める安定したピアノ演奏と、ブルースロックルーツを持つクリスティン、ポップ・センスのある曲を書くギタリスト・リンジー、可憐小悪魔的容姿歌手スティーヴィーという三者による楽曲は、バンド大きな魅力となった1977年には、最大ヒット作となる11thアルバム『噂』を発表シングルカットされた「オウン・ウェイ(英語版)」「ドリームス」(グループにとって唯一の全米1位シングルBillboard Hot 100)「ユー・メイク・ラヴィン・ファン(英語版)」、「ドント・ストップ」などの大ヒットとともにアルバム31週間渡って全米1位(ビルボード)(1977年年間チャート1位・Billboard Top 200)に輝き、1,700万枚といわれる史上空前セールス記録するマック一躍スーパースターの座に上り詰めた翌年には同アルバムグラミー賞最優秀アルバム賞受賞

※この「全盛期/1975-1977年」の解説は、「フリートウッド・マック」の解説の一部です。
「全盛期/1975-1977年」を含む「フリートウッド・マック」の記事については、「フリートウッド・マック」の概要を参照ください。

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