英国ツアー
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1月10日イギリス着、翌11日公式レセプション。前年12月5日にイギリス入りしていたジーン・ヴィンセントはすでに12日間のツアーを消化、大きなな反響を呼んでいた。すぐさまエディ・コクランとの共演による11週の追加公演が発表された。 1月16日、23日「ボーイ・ミーツ・ガール」出演。ジャック・グッドの回想。「ジーンとエディの二人はとても気さくな人物でした。エディは私のことを『ホームズ』(コナン・ドイルの小説の主人公)と呼んでいました。寒さに不慣れな彼に手袋を貸したのですが、そのお礼に新しいグレーの手袋をプレゼントされました。彼は私にこう言いました。『またワトソンを必要とする時のためにこれを保管しておいて下さい。』」 1月24日午後、ロンドンのジェラード通り「マックス・クラブ」においてワイルド・キャッツ(The Wildcats) とのリハーサル。残る日程でのサポートとしてラリー・パーンズ(Larry Parnes)が手配したもの。同じくツアーのサポートグループであるコリン・グリーン&ビートボーイズのピアニスト、ジョージィ・フェイムも同席していた。「しばらく待っているとコクランとヴィンセントが来た。全員の紹介が終わりコクランがギターを弾き出すと彼のプレイの凄さに皆驚いた。『サマータイム・ブルース』や『カモン・エヴリバディ』を演奏すると思っていたが彼は聞いたこともないリフを弾き出した。私たちが『それ何て曲?』と聞くと彼は『レイ・チャールズのホワッド・アイ・セイさ』と答えた。当時この曲は一部のジャズプレイヤーしか知らなかったが、コクランがツアーで演奏した事によってイギリスでも広く知られるようになった。」 2月21日 NMEポールウィナーズ・コンサート 2月22日 BBCラジオ「サタデー・クラブ」 2月27日 「ボーイ・ミーツ・ガール」出演 3月5日 BBCラジオ「サタデー・クラブ」 3月12日 同上 英国ツアーも後半になるとエディとジーンの二人は完全に疲れ切っていた。ジーンは常に不安定な状態で言動は荒れ、自殺をほのめかすに至る。「エディはジーンが間違いを起こさないようギターを弾きながら彼を見守っていた。」(ジョー・ブラウン(Joe Brown)、ツアーに同行したイギリスのミュージシャン)そしてエディもホームシックから軽いうつ症状を起こす。家族との国際電話の支払いが週1,000ドルになっていた。
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