英国ダービー馬の参戦と失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
「凱旋門賞」の記事における「英国ダービー馬の参戦と失敗」の解説
イタリアからは相変わらずときおり凱旋門賞へ挑戦する馬が出ていたが、久しぶりに本格的な海外の一流馬が凱旋門賞にやってきたのは1948年のパールダイヴァー(Pearl Diver)とミゴリ(Migoli)だった。パールダイヴァーは前年の英国ダービー馬である。ミゴリはアイルランドに籍をおくアガ・カーン3世の所有馬で、2歳の時には後のフランスダービー馬を破っているし、3歳になってダービーでパールダイヴァーに次ぐ2着になったあと、エクリプスステークスやチャンピオンステークスに勝ち、古馬になっても3勝していた。この年はソ連がベルリン封鎖を行い、ちょうどパリでは国連安全保障理事会が開催中で、理事の多くが凱旋門賞の見物にやってきて国際色に花を添えた。 とは言え、アガ・カーン3世はこの年の英国ダービーとパリ大賞を制したマイラヴ(My Love)も所有しており、マイラヴのほうは凱旋門賞には出さなかったので、アガ・カーン3世としては自身の最良の馬を凱旋門賞に送り込んだというわけではなかったし、パールダイヴァーはダービー優勝後は絶不調で、凱旋門賞でも39倍と全く人気がなかった。しかしそれでもミゴリはロンシャン競馬場の2400メートルの記録を塗り替えて凱旋門賞に勝った。 凱旋門賞の主催者にとっては残念なことに、ミゴリはこの11日後にイギリスでチャンピオンステークスに出て凡走し、セントレジャーで3着だったソーラースリッパーに大敗してしまった。結果的には、両馬の参戦は凱旋門賞の価値を高めるという意味ではあまり有効ではなかった。前年のフランスの2歳チャンピオンのジェッダが、凱旋門賞に出ずにキング・ジョージ6世ステークスに挑んで2着になったという事実も、凱旋門賞をフランスで最高の国際競走にしたいと考える主催者にとっては望ましい状況とはいえなかった。
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