犯人たちの逃走と捕縛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 01:10 UTC 版)
「リンカーン大統領暗殺事件」の記事における「犯人たちの逃走と捕縛」の解説
陸軍長官指示のもとで合衆国史上最大の捜索が開始された中、ブースはヘロルドと落ち合うことに成功したが、足をくじいていた。サラッツビルにおいていた逃走用の道具を手に入れた二人は、南軍の協力者のネットワークを利用しながら、深南部を目指す逃走の途につき、南軍の工作員であったサミュエル・マッド医師の自宅を目指した。医師はブースの足が折れていたため簡単な治療を行い、サミュエル・コックス[要曖昧さ回避]の元へ二人を向かわせた。さらにコックスの手引きで二人はトーマス・ジョーンズに引き合わされた。ジョーンズは二人を森の中にかくまい、追っ手の目を盗んでポトマック川を渡り、南軍支持者の多いバージニア州に逃げ切るようボートと羅針盤を与えた。 5日後、ようやくポトマック川を渡った二人は4月24日にボウリンググリーン近くのリチャード・ギャレットなる人物の農園にたどりついた。二人は自分たちが南軍の兵士であると言ったため、ギャレットはこれを信じて二人をもてなし、家に泊めた。しかし、翌日になってギャレットの家族は二人の言葉に疑いを抱き、たばこ倉庫で寝てほしいと頼んだ。二人が倉庫へ入ると、馬などの盗難を恐れたギャレットの家族によって外からひそかに鍵がかけられた。そこへ、ポトマック川を捜索中に偶然職質を行った2人組から犯人らの情報を得た、ルーサー・ベーカー中佐、エドワード・ドハティー中尉、エヴァートン・コンガー(英語版)大佐らに率いられた捜索隊の兵士たちがやってきてギャレットらを尋問し、ブースらの居場所を聞き出すと倉庫を包囲した。 4月25日夜半、26名の騎兵隊によってブースとヘロルドの立てこもる倉庫が包囲された。騎兵隊が投降を勧告するとヘロルドは投降したが、ブースはこれを拒否した。コンガーの指示によって小屋のまわりに薪が積まれ、火が放たれた。その後、ボストン・コーベットという名前の軍曹が倉庫の中で火に照らされているブースの姿をとらえ、背後から銃撃した。銃弾はブースの首を貫通し致命傷を与えた。偶然にも、この位置はブースがリンカーンに与えた傷に非常に近かった。倒れたブースを兵士たちが火の中から引きずり出し、ギャレット家のポーチへ横たえた。兵士の一人がブースの首に包帯を巻こうとしたが、ブースは断り、かすれた声で「母に私は国のために死んだと伝えてくれ」と言い残した。ブースは脊椎を打ち抜かれていたため、首から下はまったく動かなかった。ブースは呼吸も困難な苦痛に苦しみながら、動かない手を見て「役立たず、役立たず」と言った。これが最後の言葉になる。そして4月26日早朝、ブースは息を引き取った。
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