桂枝雀 (2代目)
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二代目 桂 枝雀(かつら しじゃく、1939年〈昭和14年〉8月13日 - 1999年〈平成11年〉4月19日)は、兵庫県神戸市生まれの落語家。出囃子は『昼まま』。本名:前田 達(まえだ とおる)。
注釈
- ^ 入学は「兵庫県川辺郡神津国民学校」で、1947年3月に「伊丹市立神津国民学校」同4月に「伊丹市立神津小学校」と改称された[5]。
- ^ 当時の伊丹市立高等学校は全日制と定時制の併設だった。その後、1967年に全日制課程が伊丹市立伊丹高等学校に改称し、定時制のみの高校となったが、2015年3月限りで閉校(兵庫県立阪神昆陽高等学校に統合)となった。
- ^ 上田と戸田では、矢野の文章の引用内容に一部相違がある。ここでは上田による引用を記した。
- ^ アナウンサーだった桂音也がべかこより先に指導を受けていたが住み込み弟子ではなかった。また桂南光の回想では、小米の家に通い出した時には桂圭司という内弟子が先にいたものの、1969年秋頃に噺家を断念して僧職に転じたという[24]。
- ^ 初代春団治と関わった経験のある吉本興業会長の林正之助は、1990年に枝雀の高座をなんばグランド花月で観覧した際「面白い。春団治によう似てる」と述べた[36]。
- ^ 米朝一門で『十八番』の連続独演会を開いたのは長らく米朝と枝雀のみ(ともに2回)であったが[38]、2019年5月に桂吉弥が『吉弥十八番』をサンケイホールの後身に当たるサンケイホールブリーゼで開催した[39]。
- ^ 『十三夜』と呼ばれる落語の口演は、通算13日間演じる形で、2代目桂春団治が1951年に朝日放送ラジオ向けに初めておこない、6代目笑福亭松鶴も二度(1979年と1984年)おこなった前例があった[54]。
- ^ 彼による初期の文書化は、サンケイホールでの独演会第三回(1978年)のプログラム上でなされている。「楽しいということは緊張と緩和の適度な共存であります。・・・緊張が勝てば「しんどいなァ」となりますし、緩和が勝てば「くだらんなァ」となるのであります。・・・実際には緊張の少し勝ったものを良しとするお人と、緩和の少し勝ったものを良しとするお人がございますので、その塩梅(あんばい)がまことに難しいのでございます。」[62]
- ^ 本作は枝雀の大師匠に当たる4代目桂米團治による新作落語である[66]。しかし師匠の米朝は、3代目桂春団治が「春団治」を襲名する直前、ネタの伝授を求める春団治の意気を買って本作を伝え、「自分はしばらく演じない」とした経緯があった[67]。
- ^ 廓、op.cit.「私は元来、緊張の勝った落語家でございましたが、枝雀襲名を機にこれではいかぬ、少し緩和を増やさねばと思い立ち、具体的には落語をわざと漫画化するということを試みたのであります。」[69]。また桂米朝は「・・・強情なとこもあるんですわ。なんべんいうてやっても得心せなやらん(得心しないとしない(加筆者、以下同様))。枝雀になってからは声の振幅が極端に大きく、低声がきこえんので、低声でしゃべっているようにいえ(言え)といっても直さんと(直さずに)、二年もたってから得心したのか工夫しだしました。テレビの場合は高座の時と変えろというてるんですが、もうひとつ納得してないようですなあ。テレビはすぐアップにするから表情やしぐさのオーバー度が倍加されますからなあ。・・・。」とする[70]。
- ^ 『桂枝雀爆笑コレクション 3』(ちくま文庫、2006年)のp.131にその姿を捉えた写真が掲載されている。
- ^ 1983年11月からの「新・なにわの源蔵事件帳」では主人公が芦屋雁之助へ変更となった
出典
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- ^ 井澤壽治『上方大入袋 名人の心と芸』1988年、東方出版 pp.178-181
- ^ 桂枝雀さん長男・桂りょうばが初高座 スポーツ報知、2016年1月7日
- ^ 「諸口あきらのイブニングレーダー」内の記述
- ^ 大阪府立文化情報センター編『「プガジャ」の時代』ブレーンセンター<新なにわ塾叢書>、2008年6月、ISBN 978-4-8339-0701-9。151頁に、フリーライターで音楽ジャンルを中心に、インタヴュー、ルポ、エッセイなど寄稿者として活躍、とされる。
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