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源義仲

(旭将軍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 14:51 UTC 版)

源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏武将河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる[3][4][5]。『平家物語』においては朝日将軍[6][7](あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。


注釈

  1. ^ a b c d 従前は『吾妻鏡』などを根拠に、義仲が任官したのは「征夷大将軍」とする説が有力で、『玉葉』に記されている「征東大将軍」説を唱えるのは少数派だったが、『三槐荒涼抜書要』所収の『山槐記』建久3年(1192年)7月9日条に、源頼朝征夷大将軍任官の経緯の記述が発見された。それによると、「大将軍」を要求した頼朝に対して、朝廷では検討の末、義仲の任官した「征東大将軍」などを凶例としてしりぞけ、坂上田村麻呂任官した「征夷大将軍」を吉例として、これを与えることを決定したという。こうして義仲が任官したのは「征東大将軍」だったことが同時代の一級史料で確認できたため、今日ではこちらの説の方が有力となっている(櫻井陽子「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって」 『明月記研究』9号、2004年)。
  2. ^ 源平盛衰記』において、義仲は巴御前に向かって信濃の妻に再び会えないのが心残りだと言っているが、その女性の素性は不明。
  3. ^ 尊卑分脈』では義高の母を今井兼平の娘としているが、兼平は義仲と同年代の乳母子なので、義高の母は兼平の妹と推定される。
  4. ^ 諏訪大明神画詞』によれば、金刺盛澄は義仲を婿にしたという[2]
  5. ^ 義賢が関東に下り最初に居住した上野国多胡郡(現・群馬県多野郡)の可能性もある。
  6. ^ 全国の朝日とつく名前の町村は、朝日将軍義仲のゆかりが深いところが多い。1894年(明治27年)9月に東京帝国大学史編纂官の重野安繹が、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)で「木曽義仲松本成長説」を講演した。その要旨は、「義仲を匿った中原兼遠は信濃国の権守であったため、国府のあった松本で信濃国中の政務を執っていた。義仲も成長すると、中原兼遠のいた松本、今井兼平の居住する今井村、樋口兼光が居住する樋口村の間で、26,7歳まで暮らした」という説で、松本地方の学生たちに故郷の英雄として松本盆地に多く残る義仲の史跡を調べたほうがよかろうなど鼓舞した。『義仲と松本平―旭将軍義仲とその子清水冠者義高』(飯沼伴雄著、松本市歴研刊行会)など研究書もつくられ、松本で義仲顕彰活動の輪が広がっており、松本・義仲復権の会では『木曽義仲~江戸浮世絵武者絵に見る義仲像』『木曽義仲と松本平史跡マップ』などを刊行している。
  7. ^ 義仲が木曾谷で成長していることから、当然のように木曾谷にて挙兵したと考えられている。『源平盛衰記』でも、滋野行親が木曾谷の山下(現在の木曽町新開上田付近)で兵を集めたと記述されている。だが、一志茂樹はこの記述に疑問を抱き、義仲が根拠地としたのは滋野氏の本拠があった東信・西上野であると説いた(「木曽義仲挙兵の基地としての東信地方」(『千曲』創刊号、1974年))。菱沼一憲も、後の横田河原の戦いにて義仲方に参加した木曾谷の武士(木曾衆)で姓氏が明確なのは中原兼遠の子供達のみであり、義仲が木曾谷で挙兵したとしても本拠地としたのは佐久小県の両郡および西上野の一部であり、市原合戦や横田河原の戦いもそれを前提に考えるべきであるとする(菱沼一憲「木曽義仲の挙兵と市原・横田河原の合戦」(初出:『群馬歴史民俗』25号(2004年)/改題:「木曽義仲の挙兵と東信濃・西上野地域社会」菱沼『中世地域社会と将軍権力』(汲古書院、2011年) ISBN 978-4-7629-4210-5 Ⅰ部第二章1節)。
  8. ^ 『玉葉』7月28日条には、「参入の間、かの両人相並び、敢へて前後せず。争権の意趣これを以て知るべし」とある。
  9. ^ 三之宮が丹後局と寵愛を競う坊門局(平信重の娘・円恵法親王の生母)の姪孫であったことも影響があったと考えられている。
  10. ^ 『玉葉』閏10月17日条には、「或人云はく、頼朝の郎従等、多く以て秀平の許に向ふ。仍つて秀平頼朝の士卒異心ある由を知り、内々飛脚を以て義仲に触れ示す」とあり、藤原秀衡が義仲に情報を伝えたとしている。
  11. ^ 義仲に従ったのは子飼いの部下を除くと、志田義広と近江源氏だけだった。義広は義仲滅亡後も抵抗を続けるが、元暦元年(1184年)5月4日に鎌倉軍との戦闘で討ち取られる。近江源氏の山本義経は法住寺合戦後に若狭守に任じられるが、その後の消息は不明である。
  12. ^ 義仲と基房の娘の婚姻を語るのは『平家物語』だけで、『玉葉』『愚管抄』には記述がないため、『平家物語』の創作とする見解もある。
  13. ^ 平治の乱以降、院御厩別当と左馬頭は平氏一門が独占していた。ただし12月10日には、左馬頭を辞任している。同一人物が両方の職を兼任することはなかったため、その先例に従ったものと推測される。

出典

  1. ^ 尊卑分脈
  2. ^ 久保田昌希編『戦国・織豊期と地方史研究』(岩田書院、2020年)
  3. ^ 檀一雄『木曾義仲』上・下(筑摩書房、1955年)
  4. ^ 西田直敏「平家物語の性格造型手法―平重盛・木曾義仲の表現をめぐって―」(『解釈』3巻5号、1957年)
  5. ^ 齋藤純一「木曾義仲と項羽―国文学と漢籍その一―」(『解釈』3巻6号、1957年)
  6. ^ 長島喜平『朝日将軍木曾義仲』(国書刊行会、1991年)
  7. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰『コンサイス日本人名辞典 第5版』(株式会社三省堂、2009年) 27頁。
  8. ^ 吉記
  9. ^ 『玉葉』7月30日条
  10. ^ 『吉記』7月30日条
  11. ^ 百錬抄』同日条、『玉葉』8月11日条
  12. ^ a b 『玉葉』8月12日条
  13. ^ 『玉葉』8月14日条
  14. ^ 『玉葉』8月18日条
  15. ^ 『玉葉』9月3日条
  16. ^ 『玉葉』9月21日条
  17. ^ 『玉葉』10月2日条
  18. ^ 『百錬抄』
  19. ^ 『玉葉』閏10月17日条
  20. ^ a b c 『玉葉』同日条
  21. ^ 『玉葉』閏10月21日条
  22. ^ 『玉葉』閏10月20日条
  23. ^ 『玉葉』閏10月26日条
  24. ^ 『玉葉』閏10月27日条
  25. ^ 『玉葉』11月16日条
  26. ^ 『玉葉』11月8日条
  27. ^ 『玉葉』11月17日条、『吉記』『百錬抄』11月18日条
  28. ^ 『玉葉』11月18日条
  29. ^ 『玉葉』11月22日条
  30. ^ 愚管抄
  31. ^ 『百錬抄」同日条、『吉記』は21日とする。
  32. ^ 『吉記』『百錬抄』同日条、『玉葉』29日条
  33. ^ a b 『吉記』同日条
  34. ^ 『百錬抄』『吉記』同日条
  35. ^ 島崎直人「木曾義仲関係史蹟を歩く」(鈴木彰・樋口州男・松井吉昭編著『木曾義仲のすべて』新人物往来社、2008年)182頁
  36. ^ 弓の清水”. 高岡市観光ポータルサイト「たかおか道しるべ」. 高岡市観光協会・高岡市観光交流課. 2022年4月17日閲覧。
  37. ^ 弓の清水”. 富山県観光公式サイト「とやま観光ナビ」. 富山県地方創生局観光振興室・とやま観光推進機構. 2022年4月17日閲覧。
  38. ^ 「とやまの公園空中散歩 中田中央公園(高岡市常国)」『北日本新聞』2018年5月8日付、11面。
  39. ^ 義仲像すっきり 小矢部・埴生護国八幡宮、おみぬぐい」『富山新聞』、2021年12月14日。2022年4月17日閲覧。
  40. ^ 『徹底ガイド!北陸新幹線まるわかりBOOK』マイナビ、2015年、110頁。ISBN 978-4-8399-5292-1 
  41. ^ 『木曽義仲論』:新字旧仮名 - 青空文庫
  42. ^ 芥川龍之介が3万字論文書いた「木曽義仲」の魅力 松尾芭蕉も愛惜した猛将の知られざる実像”. 歴史. 東洋経済オンライン (2022年3月21日). 2024年1月21日閲覧。
  43. ^ 木曽義仲と松尾芭蕉のお墓がある滋賀県の義仲寺”. ALL About (2012年8月14日). 2022年8月28日閲覧。
  44. ^ 曽山(2015)、p.30
  45. ^ 今井善兵衛『更生農村 ―北橘村の実情―』(日本評論社、1935年)
  46. ^ 大浦宏勝「葦原検校の遺跡と木像」(『日本医史学雑誌』51巻2号、2005年)


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